今回は「京アニのセカイ展」というニュース記事から派生した、中々興味深いスレを見つけたのでまとめていくぞ。
スレタイからしてインパクトがすごいんだよなあ…w
「津山30人は八つ墓村とか丑三つの村とか映画になったけど京アニ36人はどこか作らないの?」という問いかけから、様々な意見が飛び交うことになったこのスレッド。事件の映画化というデリケートなテーマに、人々はどう反応したのか?早速見ていこう!
https://news.yahoo.co.jp/articles/446b2986ea8c029e2147ed48f92dbf217a09b87b
少しは被害者の気持ち考えろやクソが
何よりも絵を描くことが大好きで、絵を描くこと以外に人生を考えられず
努力を重ねた末にやっと一流のスタジオで仕事ができるようになった女の子が
重度の火傷で両手を切断してんだぞ
一生涯二度とペンを握って絵を描けないんだぞ
それで毎日お母さんに「殺して」って泣きながらお願いしてんだぞ
僅かでも人の心があればこんなスレ立てられないはずだ
俺は悲しい
幼少期に一本被りの人生はそれを失ったときのリスクがある、と誰からも教えられなかったことのツケを払ってる感じかおまえが悲しいかどうかはどうでもいいなw
誰かに吐いた言葉はいつが自分に降りかかる
よく天罰とか因果応報とかいうやついるけど、この京アニの犠牲者は何かしたの?
映画化の是非、そして倫理観を問う声
スレ主の問いかけに対し、早速激しい反発の声が上がったな。被害者の心情を慮る意見はもちろんだが、それに対する冷静かつ皮肉めいたレスもあって、いきなりヒートアップしてるぞ。
「誰かに吐いた言葉はいつか自分に降りかかる」という言葉、これは心に響くな。しかし、「犠牲者は何かしたのか?」という疑問もまた、この事件の複雑さを物語っている。
京アニが一般から原作募集とか脇の甘い事をした。
青葉が書いた原作を京アニが公開するって話があったと思うんだけどあれどうなったの?
公開した方が良いよな。第三者が検証した方が良い。
なお≫23「公共の場で裸にするのはおかしいだろ」娘がうどんの汁を服にこぼして着替えさせたお父さんに暴行 [194767121] 26 :ダークマター(ジパング) [ニダ][sage]:2025/09/07(日) 12:36:15.55 ID:mYQSkmUi0
毎日市民プール行ってるが、おっぱい膨らんできたら男子更衣室に連れてくるなよお父さん
ガン見しちゃうだろありがとう
うっわ
まさかの展開…発言者の過去ログが掘られる!
ここで話の流れがガラッと変わったぞ!事件の背景に京アニの「脇の甘さ」を指摘する声や、青葉被告の原作公開の是非が問われる中、なんと激昂マンの過去ログが掘られてしまったwww
これはおまいう案件すぎて草生える。まさに「誰かに吐いた言葉はいつか自分に降りかかる」を体現してて、ぐうの音も出ないわ。
女がついてりゃイージーモードだろ
青葉が犯行に至る経緯を説明するために、幼少時の回想映像とか入れることになると思うが
かなり荒れた家庭環境だったんでしょ 成人してからも救われないというか
青葉に同情するのが一定割合で出てくるよ
京アニの被害者の日々の光景も入るだろうけど、どうしても主役が青葉になってしまうからな
不謹慎なことを言えるボクって凄い?
クダラン
青葉がやってきて火を放って36人死ぬ内容なら30分くらいで終わるやw
青葉被告の背景に迫る声、そして映画化の難しさ
激昂マンの過去が掘られた後も、スレは青葉被告の背景や、映画化の難しさについて語られているな。
青葉被告の幼少期の環境に言及し、一定の同情論が出てくる可能性を指摘する声もある。しかし、どんな事情があったにせよ、主役が加害者になってしまうことへの懸念も同時に語られているな。
そして、そもそも映画になるほどのドラマ性があるのか?という根本的な疑問も。確かに、ただ事件をなぞるだけでは、30分で終わってしまうかもしれないな。
単に妄想性人格障害だから
「ドラマ性」の欠如と、最近の事件の映画化
青葉被告の動機を「妄想性人格障害」と断じる声もあれば、「手作業の凶行と比べてインパクトがない」という刺激的な意見も飛び出しているな。
そして、他の事件との比較も始まったぞ。3億円事件は映画化されたが、最近の一平さんの事件はアメリカでドラマ化されるらしい。事件の「鮮度」と「ドラマ性」、そして「金銭的価値」が映画化の基準になるのか…中々シビアな現実が語られているな。
津山は犯人は秀才とか言われて持て囃されてたけど色々あって村八分になり凶行に及ぶという見てても面白いって言ったら不謹慎だがドラマ性あるから
青葉はなあ
100%逆恨みやろ
オタのクソみたいな負け組人生なんて見ててもつまんなそう
実録系の映画やドラマ
ビートたけしの大久保清
ゆずの女子高生コンクリ事件
昔、白竜がナンパした女を赤いスポーツカーで山に連れてって殺害みたいなのなかったっけ?
たけしは金嬉老とエホバの輸血拒否も
「ドラマ」の定義と、過去の凶悪事件との比較
映画化するなら「事件から立ち直るプロセス」を描くべきだという建設的な意見も出ているな。しかし、津山事件と比較し、「青葉被告の動機にはドラマ性がない」と厳しい意見も。確かに、犯人の背景が「逆恨み」だけでは、物語としては深みに欠けるのかもしれない。
過去の実録系映画やドラマの例も挙げられているが、それらはやはり、犯人の心理や事件の背景により複雑な要素があったように思えるな。
事件の後が中心じゃね
せめて逃走劇がなきゃみる価値無し。
医療チームの視点からなら見るかも
医者は助けたくて助けるんじゃなくて罪を償わせるために生かしてるって言ってたぞでも言い方が生きて苦しめって言ってるようだった
津山は因習というテーマがある
加害者か被害者か?視点と動機の深掘り
映画化するなら「事件後」に焦点を当てるべきだという意見や、弁護士や医療関係者の視点から描く「法廷ドラマ」「医療ドラマ」なら可能性があるという声も上がっているな。
特に「医者は罪を償わせるために生かしている」というレスは、重い現実を突きつけてくる。そして、やはり「動機にドラマがない」という点が、映画化の大きな壁になっているようだ。津山事件のような「因習」といった根深いテーマが見当たらない、と。
津山は前に某ブロガーの人がサムハラ神社の帰りに別の神社に行こうとしたらヤバいのに取り憑かれた話があって
ちょっとヤバい土地なんかなって偏見が生まれてしまった
京アニ36人北新地26人池田小8人秋葉原7人山上安倍1人
最も激震を与えたのはどれ?
事件の物語性、そして映画化のメリットとは?
被害者の死を感動的に演出することへの強い懸念や、「動機が子供だからストーリーにならない」という厳しい現実が語られているな。
津山事件のような「閉鎖社会感」が醸し出す独特の雰囲気と、京アニ事件の動機の単純さを比較する声も。そして、他の凶悪事件との犠牲者数の比較も始まり、一体何のために映画を作るのか、という根本的な問いが投げかけられているな。
決して有能な犯罪者による犯行ではなかった
所謂、特別調整の失敗を描くには
十分な社会派人士が居ないよなこれも毒親との関係性から人格破綻したから
行動療法的に人間関係変わらんようにしないと
薬に漬けた所で破綻するのは明らかだったのにな
最近はまた易怒性な薬が流行ってんのか
意味不明な殺傷事件が起きてんな
了承を取り付けるのも理解してもらうのも難しい
思い出したくもない事件だろう
特殊なコスプレ
印象に残る言葉
同情かうくらいの過剰に抑圧された過去とかなくてはな
ただの勘違いオタクではドラマ要素ない
遺族の心情と、青葉被告の複雑な背景
「世界仰天ニュースでさえやらなかった」というレスは、この事件のデリケートさを物語っているな。犯行の「単純さ」を指摘する声や、青葉被告の複雑な家庭環境と人格破綻について深く分析するレスも。
しかし、何よりも遺族の心情を考慮すると、映画化は難しいだろうという意見は非常に重要だ。若くして夢を追っていた犠牲者たちへの同情の声も、胸に迫るものがある。
パクったかどうかなんて「真実」なんてどうでも良い
パクったと思われるような事をして恨まれたという「事実」の方が大事
そういう所が脇が甘かった。としか言いようがない。
京アニが関西人特有の舐めプして恨みかったとしか思えない。まともな企業なら変なリスクを背負わない。
山神だったら背景がドラマチックだから作品化できるかも?
https://www.sankei.com/article/20231206-L227IK7ZZNJBJMDWCRVXLCO7IQ/
大火傷でスキンバンク移植手術を繰り返して現在自宅療養中の従業員女性はいるが右手人差し指を切断しました。手足切断の可能性もあったので、不幸中の幸いでした。
事件当時制作マネージャーって書かれてるし
描画彩色とかのアニメーターじゃなさげ
PC作業とか対人での調整とかは十分こなせるかと
まあ全身皮膚移植とかしてるから体温調節とかに問題ありまくりで
長時間は現時点でも活動難しいんだろうけど…
ドラマにならねぇじゃん
本人もまさかこんなに死ぬとはと言ってるし。
難波のネカフェ放火も同じくだし。
津山とかは明確に全員に殺意を持って殺してる訳だし。
青葉みたいな馬鹿に日本記録更新とか言われたくないのよ。w
漫画化の現実と、事件の特殊性
「ルックバック」という漫画でアニメ化されているという情報も。やはり表現の形は様々だな。
そして、「恨みを買うようなことはするな」という教訓めいたレスや、京アニの「脇の甘さ」を指摘する声も。青葉被告には同情の余地がないため、山上事件と比較してドラマ化の難しさを語る意見も出ているぞ。
被害者の方の壮絶な状況が裁判証言として語られ、改めて事件の悲惨さを突きつけられる。放火殺人という犯行の特殊性についても言及され、深い考察が続いているな。
エログロは題材になり易い
フクイチの映画化も早すぎたろと思ったが、最近ダイヤモンドプリンセス号まで映画化してて笑うしかなかった
妄想系の人格障害のような精神疾患は確かに有してるけど
基本犯罪性人格だからどうしようもないというか
普通なら夢を託して自信作応募するなら記載されてるルール順守してというのが普通の人間だけど
青葉マインドだと、原稿用紙でも応募可能って書いてあるし郵送の送り先が京アニ本社だからそれで正式応募だけど何か?
ってなってるようだ
最初に応募一作品ごとのメルアド登録での応募手続きが必須で、記載されたメルアドにメールのみで連絡ってちゃんと書かれてるのに
どうやら行ってないようだし、だから落選の連絡も届かず
応募されたデータや原稿は返却できないから、ちゃんとコピー取ってコピーされた物をデータや郵送で送って来いよ
って赤字で注意書きがキッチリ為されてるにもかかわらず
これも生原稿をそのまま封筒に入れて郵送した模様
青葉本人からしたらこれが正式応募したという認識らしい
規約違反複数により落選して連絡ないし応募原稿返ってこないのは当たり前なのだが
青葉マインドからしたら、ちゃんと正式応募したのに俺だけ当落の連絡なく原稿も戻ってこない、京アニにパクられたに違いないって
自分の応募における失態に現在に至るまで一切気付かず憎悪を募らせたってわけ
社会常識やルール順守、他者を尊重するという概念が根本的に欠落して身勝手な犯罪者マインドの持ち主なんだよなぁ…
ところで判決って出たっけ?
青葉は放火殺人においては罪は認めたものの、弁護団すら自分を妄想に取りつかれた基地外扱いしたと
弁護団の方針への強い不満を主張し、弁護団を解任し
自分を理解してくれ意に沿った形での方針で控訴審を戦ってくれるような弁護人を募ったっぽいけど
そんなもん現れるはずもなく
また妄想のみで片付けられると不貞腐れたのか、自らの意思で控訴を取り下げた京都地裁での青葉の弁護団は死刑反対派で構成されてたが、死刑制度の是非とか青葉の責任能力が
強い精神疾患に基づく妄想によって欠如してるから
それで無罪という方針だったけど
責任能力なき者による一方的な取り下げだったから、控訴取り下げが無効であると主張し
現在は青葉の控訴取り下げの無効の是非について審査中ってとこみたいだね
奴本人は自分がパクられ妄想じゃなくリアルで京アニから人生賭けた大傑作小説をパクられたのは紛れもない事実なんだから
これが妄想扱いなんてもっての外でまだ法廷で闘い抜けるのでは?
このまま妄想扱いされたままで終わるのだけは嫌だ的な、頭腐ってる奴の戯言での「後悔」や迷いが
依然として残っていて、自分は正しかった致し方がなく犯行に及んだって信じ込んでるんだろう
青葉被告の動機と裁判の行方、そして「物語」の限界
津山事件に「エロ要素」があるから題材になりやすい、というぶっちゃけた意見も飛び出したなwww そして、事件の映画化には「時間経過」が必要だという現実的な指摘も。
最も興味深かったのは、青葉被告が応募規約を理解しておらず、それが「京アニにパクられた」という妄想に繋がった詳細な解説だ。社会常識やルール順守の欠如が、あのような悲劇を引き起こしたと考えると、ただただ恐ろしい。
裁判の状況についても詳しく語られ、青葉被告の責任能力を巡る複雑な経緯が明らかになった。結局、津山事件のような物語性がない「単なる勘違い野郎の犯行」では、映画にはなりにくい、という結論に落ち着くようだ。
【管理人による深掘り解説】
今回のスレッドでは、京アニ事件の映画化の是非を巡って、様々な視点から意見が交わされたな。
この事件は、単なる凶悪犯罪として片付けられない、非常に深いテーマを私たちに突きつけているんだ。
奪われた命の重みと、被害者の“生きた証”
まず、忘れてはならないのは、この事件で奪われた36人ものかけがえのない命だ。彼らはただの「36人」という数字ではなく、それぞれが名前を持ち、家族がいて、未来への夢を抱いていたクリエイターたちだった。
裁判では、遺族の方々が勇気を振り絞り、亡くなったクリエイターたちの人柄や、事件が奪った日常について語ったんだ。アニメーターとして一流のスタジオで働く夢を叶えた女性が、重度の火傷で両手を切断せざるを得なかったという、想像を絶する現実もあった。私たちは、彼らの“生きた証”を心に刻むことから始めるべきだろう。
参考: 【詳報】京アニ放火殺人事件 青葉真司被告に死刑判決|NHK事件記者取材note
「責任能力」という、法の壁
裁判で最大の争点となったのは、青葉被告の「刑事責任能力」だった。弁護側は妄想性パーソナリティ障害による心神喪失・耗弱を主張したが、検察側は「妄想に完全に支配されていたわけではなく、善悪を判断し行動を制御する能力は保たれていた」と主張した。結果的に、京都地方裁判所は検察側の主張を認め、死刑判決を下した。
判決では、被告が抱いていた「小説を盗用された」という妄想が、犯行全体を支配していたとは言えないとされたんだ。筋違いの恨みによる復讐であり、多くの人命が奪われた結果の重大性を踏まえれば、極刑をもって臨むほかない、という判断だった。刑法第39条にある「心神喪失者の行為は、罰しない」という規定の解釈は、常に難しい問題だよな。
参考: e-Gov法令検索「刑法」、朝日新聞デジタル「京アニ事件、青葉真司被告に死刑判決 責任能力を認定」
事件の「物語化」と「表現の倫理」
スレッドでも議論されていたが、この事件を「物語」として消費してよいのか、という問題は非常にデリケートだ。「表現の自由」と「被害者遺族の感情」という、極めて重いテーマがここにはあるんだ。
津山事件のように過去の凶悪事件がフィクションの題材となることはあったが、現代では情報が瞬時に拡散される。これにより、被害者や遺族は「二次被害」に苦しむ可能性が非常に高い。不正確な報道、心ない噂、過度な取材…これらは、事件そのものと同じくらい、深い傷を与えることがあるんだ。
もしクリエイターがこの事件から作品を生み出すとしても、犠牲者と遺族の尊厳を最大限に尊重し、単なるセンセーショナルな消費にならないよう、極めて高い倫理観が求められるだろう。
京アニが灯し続ける「創造の光」
この悲劇は、京都アニメーションという、世界に誇るクリエイター集団を襲った。彼らはアニメーターを正社員として雇用し、自社で育成するという、非常に倫理的で質の高い制作体制を貫いてきたんだ。その真摯な姿勢が生み出す作品は、世界中で愛されてきた。
事件直後には「#PrayForKyoani」というハッシュタグと共に、世界中から支援が殺到したのもそのためだろう。そして、その支援を力に、京アニは今も素晴らしい作品を世界に届け続けている。これは、暴力では決して創造の魂を消し去ることはできない、という人類の希望の証明だと思うんだ。
まとめ:この悲劇を“風化”させないために
京アニ事件の裁判は一つの区切りを迎えたが、この事件が私たちに遺したものは、決して過去の出来事として風化させてはならないものばかりだ。
- 犠牲となった一人ひとりのクリエイターたちの“生きた証”を、語り継ぐこと。
- 京都アニメーションが灯し続ける、創造の光を応援し続けること。
- そして、私たちの社会に潜む「孤立」や「憎悪」の芽を、対話と支援によって摘み取っていくこと。
それこそが、この決して忘れてはならない悲劇に対する、私たちにできる唯一の、そして最も誠実な向き合い方ではないだろうか。
今回は京アニ事件という、中々闇の深いスレだったな。お前らの意見も、ぜひコメントで教えてくれよな!最後まで読んでくれてサンガツ!
