
現代社会の「クマ問題」に迫る!
なあ、みんな。最近、クマのニュースを耳にしない日はないと言っても過言じゃないよな?人里に降りてきたり、農作物を荒らしたり、時には人命に関わる事故も起きている。そんな中、「クマを駆除すべきか、それとも生態系を守るべきか」という問いは、我々にとって避けて通れない大きなテーマとなっている。
今回、我々の主人公であるスレ主・イッチが投げかけたのは、まさにその核心を突く一言だった。生態系を盾に駆除をためらう声に対し、彼は真っ向から異議を唱える。さあ、このスレッドがどのような展開を見せるのか、一緒に見ていこうじゃないか!
【第一章】「九州事例」という名の切り札
全く居なくなったら問題だけど ある程度間引くのはあり
「なんだかとにかく生態系がアレしてコレしてとんでもないことになるんだ(願望)」
問答無用で殺すしかない段階やろもう 子供が食われたらどうすんねや
九州は熊排除したけど 何の問題もないどころか むしろ安心して登山できるようになったわ
九州で大丈夫だからといって、他の場所でも大丈夫かは正直分からない
そもそも生態系なんてものは人間に合わせて変えていくんだよ
九州に熊がいないんだから本州から消えても問題ないよ むしろその方がハンターも安心して鹿と猪狩にいけるだろう
今までは生態系ガーが通用してたけど九州の前例ができてもういなくて問題ないよね
九州ではクマ絶滅させたけど生態系に全く問題ないですw
鹿やキョンが際限なく増えてるのに何で熊はこいつらを餌にしないの?
それやったらミドリガメもザリガニもウシガエルもブラックバスも駆除する必要なくね?って現行の種の保全の法律に矛盾が生じる
仮に日本の山で絶滅したらどういう問題が生じるんや?
個体数そこまで増えてないようだ ただナラ枯れや鹿猪増加で山にエサがない
マジで殺した方が良いよ 私は熊が出る田舎出身だけど昔なら墓があったり畑があったり山菜をとったりそれなり整備されてた山の中が高齢化で手付かずになってるんだわ そりゃテリトリー広がるよ
九州の「成功」は普遍的か?
スレの冒頭から、イッチと「九州事例推進派」は、九州でクマが絶滅しても問題が起きていないことを強力な根拠として提示している。彼らにとって、これは「生態系ガー」論への決定的な反論だ。
しかし、当然ながら「慎重論者」からは「九州と他地域は環境が違う」という真っ当な意見も飛び出す。また、「シカ増加懸念」からは、クマがいなくなると別の問題が起きる可能性も指摘された。
ここでイッチが放った「生態系なんてものは人間に合わせて変えていくんだよ」という言葉は、この議論の根底にある人間中心主義的な思想を明確に示している。果たして、この考え方はどこまで通用するのだろうか?
【第二章】エスカレートする現実と「生態系」の定義
クマ駆除にクレーム入れてる連中とかもそうなんやが 人間なのに人間の味方出来てない時点で、理解に苦しむ存在だ。クマより問題があるかもしれない。
熊の生息数見積もってたのにそもそも人が住んでない地域はどんだけ繁殖してるか不明ってのが怖い
9900人のわざわざ電話しない市民(危ないから人里降りて来たのはさっさと駆除して…)
100人の電話する市民「クマを殺すなー!」
市役所「市民の皆さんから反対があり…」 ←これ
ここまで何が起きても熊に関することは国が一切対策する気がないというか話題にもしない、知らぬ存ぜぬを決め込んでるの異常だろ 人が何人も殺されてるってのに
増えすぎて餌がないのに餌がないだけ切り取って人間のせいで熊の生息圏が狭まって可哀想とかいう一部の人が考えそうなこと
このまま熊が住宅地に平気で住み始めて毎日人間が殺されることになっても政府は黙ってるつもりか? 家にいても襲われるんだからもう山に入らなければいいとかいう問題じゃなくなってるんだが 維新と連立だとかどうでもいいことに時間割いてないではよ動けや政府
17日夜、仙台市青葉区の広瀬川の河川敷で、クマ5頭が一度に目撃されました。現場周辺には住宅街が広がっていて、警察が注意を呼びかけています。
17日、午後8時35分ごろ、青葉区霊屋下にある「評定河原橋」を通行していた人から、「橋の下の茂みにクマが5頭いる」と、警察に通報がありました。
目撃されたクマは、体長約1メートルが2頭、体長約70センチが3頭で、5頭は親子とみられるということです。
通報を受けた警察が周辺で警戒活動を行いましたが、クマは発見されませんでした。
これまでにクマの痕跡や被害の報告はないということです。
県内では人の生活圏でのクマの出没が相次いでいて、県は、警報を出して一層の警戒を呼びかけています。
保健所につれていくなっの人もやけど、動物愛護を掲げる人って本当に自分のことしか考えてないから嫌
猪だの鹿だのの対策に毎年100億円使ってるのに被害額15億円割らない
マタギ曰く鹿肉と蜂蜜と並べて置いといたら真っ先に鹿肉に食いつくらしい 雑食といわれてるけど実は肉食傾向が強い
広葉樹を伐採して杉の木を大量に植林したツケが回って来てるんやぞ
九州のはツキノワグマじゃないか 違う環境で違う生物が絶滅したケースを例に出して問題ないとか不適切な主張だ
いなくなる事でどういう影響が出るか分からないのに邪魔だから根絶させようはまずいだろうという話だ
現実の脅威と「正義」の衝突
このセクションでは、クマの脅威がもはや絵空事ではなく、現実の生活圏にまで及んでいることが明確に示された。仙台市でのクマ親子5頭の目撃情報には、思わずガクブルだ。そして、政府や行政の対応への不満、駆除反対派への苛立ちが募っていく。
イッチは「人を食いに来てる時点でもうモンスター」と断言し、さらに「人間なのに人間の味方出来てない」と、駆除反対派を「クマより問題があるかもしれない」とまで言い放つ。これは、もはや単なる動物保護の議論ではなく、人間の生存権と、生態系保全という「正義」が衝突する、より根源的な問題へと発展していることを示唆している。
また、「クマの種類指摘」が九州のクマはツキノワグマであると指摘し、「慎重派の論客」が九州の事例を他の環境に適用することの不適切さを強調するなど、議論はより専門的かつ複雑な様相を呈し始めるぞ。
【第三章】オオカミの影、そして見えぬ未来
人間も自然の一部だって分かっていない人多いよな これまでどれだけの生物が絶滅して新しい生物が繁栄してると思ってんねん
熊ごとき居なくなっても全く困らないぞ生態系のバランス修正力を甘く見るな
ニホンオオカミの時も同じこと言って絶滅させたら鹿が大繁殖して禿山による土砂崩れが問題になった
クマがいなくなって起こることは無限に心配するくせに クマがいることで今人間に起こっていることの心配はなぜかしないという 無責任な人だ
いやその頭数制限が機能してないからこうなってるのでは? いなくなればそんなこと考えなくていいじゃないか
管理してないんだから機能してないのは当たり前じゃないか 環境の変化で今まで通り野放しにできなくなったなら今から管理すればいいじゃないかという話をしてるんだろう
あのね そもそもいなくて困らないよねという話なんだが まさにスレタイみたいなお前が湧いてきたから聞くけど、具体的にクマがいなくなったら何がどうなると思ってるの? 参考例の九州のケースを踏まえてな。 もっというと、何がどうなってほしいの?山が崩れてほしいの?洪水?
獣からしたら豆腐レベルに脆い人間がいくら鍛えようが無意味 奴らは頭部を狙ってきて亡くなった被害者の殆どは頭蓋骨が粉々になってる
生態系は狂うけど時間の経過で勝手に解決するんだよ 熊が絶滅してる九州がいい例
異なる環境で別種の生物が絶滅した例がどう参考になるんだ やってどういう影響が出るかわからないから短絡的に絶滅させろは非常に不適切だろうという話を私はしてるんだが 絶滅させた後で問題が起きたらあなたが責任とって原状回復させるのか? そもそも私は熊を殺すななんて一言も言ってない
その絶滅後も日本人増え続けてるし全然大した被害じゃないじゃないか これまで無数の生物が絶滅してるが人間は増え続けてる
無理に決まってる 人が昇り降りできない斜面を余裕で移動して草木が生い茂る視界がない場所でも素早く動けるハイスペック動物だし無理ゲー 人里に降りて来たり田畑を荒らす熊は駆除しても良いと思うけど、逆に野山に入った人間が熊に駆除されも仕方ないと思って覚悟を決めて行動すべき
絶滅させる事でどういう影響が出るかわからない 絶滅させた種を復活させる事はできない この私の主張に対して 絶滅させても問題ないと言ってるのはあなたなんやからエビデンスを出すのはあなたの方だろう
生態系って言葉自体が人の作った意味のない概念なんよ そんなものに縛られて人の命を犠=”agc-highlight” style=”font-size: 1.8em; color: #f87171; font-weight: bold; text-shadow: 1px 1px 3px rgba(0,0,0,0.5);”>牲にするって本当にばかばかしい話だ
人間社会が崩壊しないようにちゃんと資源の管理しようねって事で生態系の保全をしとるんやで
クマがいなくて人間社会がどう崩壊するか言ってみろよ
熊だけが保有してる酵素や常在菌が人間の病気に拮抗するような作用を持ってたらどうするの? 動物由来、自然由来の薬剤はかなり多いし熊を絶滅させたら人類も滅びるような可能性が0ではない限り絶滅させるのは悪手 そんなに熊が怖くて仕方がないなら早い話
これまで99%以上の種が絶滅してきた現実に対して クマがいなくなれば何か大変なことが起きると言ってるのがお前なわけだろう 何がどうなるのか言えよとなるじゃないか
特定の地域にいなくなるのと絶滅するのは似て非なるもの
その99%が絶滅した事で本当に何の問題も起きなかったのですか?
つまり「わからない」ということだな わからないことはやめて現在の危険を受忍しよう わからないことはおいといて現在の危険に対処しよう どちらのリスクを負うか、という話になるかね
二択が間違ってるんよ そもそも熊害をなくす為に熊を絶滅させる必要ある?って話だし
朝鮮半島のチョウセントラは20世紀半ばには絶滅したようだが、 あれは生態系にどのような影響を及ぼしたかな ニホンオオカミの事例もあるな
言ってまず熊見たことないだろあれこれ言ってても ほんでどんな被害があるか、数値数字で分かってる人も居ないだろうし 確か7件だろ?関連の事件とか被害って どこの市か忘れたけど、会見で統計的な云々言って今後の対策決める言ってたのが正しいわ 正直騒ぎすぎ
クマさん居ないから仕方なくイノシシが人襲ってるのが九州
「駆除しろ」と「絶滅させろ」との間には、かなりの隔たりがあるわな
人間の関与した絶滅と自然的な絶滅は問題が違うってのは知っておくべきだ
単純だ 自然的な絶滅は環境の変化によるもので多くの場合その代わりが存在する 人間の関与した絶滅は代わりが存在しない 人間の関与した絶滅で日本で有名なのは日本狼だろうな、捕食者を人間都合で選択的に絶滅させた結果、鹿害が増えて森林が枯れたりしている
私はずーっと絶滅させる事でどういう影響が出るかわからないから短絡的に絶滅させるべきではないって言ってるよな それに対して絶滅させても問題ないんだあああ人間社会は崩壊しないんだあああって主張してるのがあなただろう 人間社会が崩壊しない程度なら何が起きても問題ないんだろ? だったらそもそもの熊害自体が取るに足らない問題なんだから熊を絶滅させて対策する必要がないだろう
九州では熊絶滅させたけどさしたる問題無いよなーってのは結局結果論でしか無いんよなー まだまだ人間の技術は未熟で絶滅させた結果のシミュレーションは完璧じゃないんよね
人間の関与は「環境の変化」じゃないのかね その変化に対応して、バランスが移行しつつあるんだろう いつどこに落ち着くか予測しがたいが、それは人為によらない変化も同じことだ
日本狼は狩りが得意だったから絶滅した結果鹿が増えることになったけど クマは狩りが下手くそだから鹿はそのままだわ狩りやすい人間襲うようになってるんだろ
例として日本狼あげたやろ 代わりがいないの典型例や 鹿害が増えて森林が枯れたりしてて人間が狼の代わりとして鹿を狩猟してるのが現状じゃないか 例えばこれが新たな捕食者の流入で競争に負けた結果絶滅した、ならこの問題が起きてないのはわかるよな?
ああすまんな≫164じゃなくて≫167だったね 日本語読めないの? 人間社会が崩壊しないようにちゃんと資源の管理しようねって事で生態系の保全をしているんだよ これをどう解釈したら熊を絶滅させたら人間社会が崩壊するってなるの? 一度消えたものは二度と戻せないからどんな影響があるかわからないのに短絡的に生物を絶滅とかさせたらまずいんだよって言ってるんだが
このスレタイで、かつ生態系についてのレスで≫153なら熊も含まれると解釈するのが当たり前だろう あと絶滅させたら云々は今まで山ほど絶滅してるのがわかっただろう?
空いたニッチがどう埋まるか、バランスの変化がどこにどう波及するか、 見極めながら慎重にやらんといかん、ということなら、その通りだわな 自然による絶滅にせよ人為による絶滅にせよ、本質的には同じことだと思うが、 人為による絶滅は急速な変化をもたらしがちだからより慎重に、というのは たぶん正しいわな
オオカミいなくなったけどその影響を実感するフェーズに入ってるよな シカ増えすぎなんだよ
もう≫231で書いたけど理解できないみたいだから改めて言うが これまで山ほど絶滅した上で今があるんだからクマがいなくなってもどうということはないよ 熊の害が出てる中で、ひたすらどんな影響があるかわからないから殺すなしか言わないクマなんかよりよほど現実的な考え方だよ あ、人間目線でね。おしまい
過去の教訓と未来への問い
議論は白熱し、ついに「ニホンオオカミ絶滅」という歴史的な教訓が持ち出された。オオカミがいなくなったことでシカが大繁殖し、生態系に大きな影響が出たという事実。これは、安易な絶滅が予期せぬ結果を招くという「慎重派の論客」たちの主張を補強する。
しかし、イッチは「これまで山ほど絶滅した上で今がある」と譲らず、クマの害に直面している現状を無視して「わからない」と主張する慎重派を「無責任」と切り捨てる。まさに「なんて日だ!」と小峠も叫びたくなるような、激しい攻防が繰り広げられた。
「駆除」と「絶滅」の線引き、人間の関与がもたらす変化の本質、そして「生態系」という言葉の解釈。このスレッドは、単純な二元論では割り切れない、現代社会が抱える複雑な問いを浮き彫りにしたと言えるだろう。
※本記事は掲示板の投稿をまとめたものであり、その内容は個人の意見に基づいています。