2000年前のインド人「チカイ・コッラン、エジプト王家の谷に参上www」

編集長のモッコスです。2000年前の古代エジプト「王家の谷」で、あろうことかインド人の落書きが見つかったとの一報が入りました。ツタンカーメンも眠る神聖な場所に「俺、参上」を刻んでしまう人間の業……。ロマンと痴性が入り混じるスレッドを査定しました。

1: ID:223y8hXP0 イッチ

2000年前の「インドの旅人が残した落書き」をエジプトで発見

https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/192686

古代エジプトの王たちが眠る「王家の谷」。

かの有名なツタンカーメンをはじめとするファラオの墓が並ぶこの場所は、考古学の聖地として知られています。

そんな中、この神聖な墓地の壁に、2000年前のインドからの旅行者が残した“落書き”が発見されたのです。

スイス・ローザンヌ大学(University of Lausanne)は最新調査で、王家の谷の複数の墓から、古代インドの言語による碑文を数十点確認。

そして、そこに残された落書きは驚くほどシンプルな言葉でした。

「チカイ・コッランがここに来て見た」

2000年前、インドからエジプトを訪れた旅人は、王たちの墓を見学し、そして自分が来た証を壁に刻んでいったようです。

引用元ソース

💡 この話題の背景・ソース概要

スイス・ローザンヌ大学のニコラス・ヴィアネ博士らの調査により、エジプト・ルクソールの王家の谷(主に第9号墓)で、紀元前後頃のブラーフミー文字による落書きが複数特定されました。これは当時のインドとエジプトを結ぶ海上交易ルートの活発さと、知的好奇心を持った「初期の観光客」の存在を裏付ける極めて貴重な発見です。

2: ID:8tTXCwof0
歴史に残る痴人だぬ
30: ID:R+KKfraK0
>>1
>「チカイ・コッランがここに来て見た」
>2000年前、インドからエジプトを訪れた旅人は、王たちの墓を見学し、そして自分が来た証を壁に刻んでいったようです
2000年前のインド人ですら◯◯参上と書いちゃうんだから、人間としての本能なんだろうな
105: ID:AUs0ZMkE0
遺跡に落書きしたらダメだろ
108: ID:Trx9t6F00
>>105
当時は遺跡じゃねー
でも墓なんだよな
109: ID:/sNk+nn00
>>108
最後の埋葬者はラムセス10ないし11世と推定されるので2000年前でも最低1000年経過してる
3: ID:iQdTaCN+0
どうしたら行けるのだろう?
61: ID:GZZ3nlGk0
>>3
教えて欲しい
76: ID:jqjawcKv0
>>74
今行けないよ
アルカイダの占領地
自分が寄った時は誰でも行けてエアアフガンが成田に来てた 英国領?みたいで街は日本より西洋化してた感じカブールだけど

2000年前のバックパッカー、チカイ・コッラン氏。彼がどのようなルートでエジプトに辿り着いたのか、現代の我々には想像もつかない冒険があったはずです。「見えざる救い」や未知の世界を求める情熱は、いつの時代も人々を突き動かすのかもしれませんね。

天理教という謎宗教 – モッコスヌ〜ン

10: ID:oFh8TfK/0
They say it was in India
55: ID:naY9L78I0
ガンダーラはインドじゃない件
96: ID:hpnKoLom0
今のパキスタンにあったという王国ね
12: ID:9X+uVoe00
アフガンのカンダハルのことだよ
15: ID:NbviMMDd0
>>12
神田春は「アレキサンダー大王都市(アレキサンドリア)」の訛りじゃ?
まあガンダーラもギリシャ人の都市だったけど
63: ID:jqjawcKv0
>>12
カンダは日本に伝来で神田に漢字化
ハルは当然素晴らしい美しい等の意味のアラム語も引き継いだおそらくサンスクリットと思われる
カンダハル
この美しい響き
まだ行けてない 悲しい
カブール飛行機で50年前?近くに寄っただけ
93: ID:RnwaIm/t0

仏教もかつては偶像崇拝禁止で神様の像などつくってはいけなかった
しかし、ガンダーラ地方に伝播したときアレクサンドロス大王東征によって現地に定住したギリシャ系住民が仏像をつくりだした
ギリシャ人にとっては神様の像をつくるというのは至極当然のことだったから
で、自分らの姿に似せてつくったのであの独特なギリシャ人と現地人のハーフのアルカイックスマイルの顔になった
お釈迦様のパンチパーマはギリシャ人のチリチリ頭を模してああなった

57: ID:2BGtgTCq0
エリュトゥラー海(紅海)案内記がエジプトで書かれたのは紀元1世紀頃
エジプトからインドまでの航海案内記だから、この発見に全く驚きはない
40: ID:7r+VLcWN0
ガンダーラとエジプト王国の交流証しは、秘かに語られてきた事実だ。王家の谷に刻まれたインド文字は偶然ではなく、古代から続く秘密のネットワークの痕跡である。学界では無視されるが、石壁に残された墨痕こそが真実を語る。2000 年前の旅行者の記憶は嘘をつかない。シルクロードの遥か先の根幹には、共通した精神的世界が存在したのだ。
46: ID:5vmuvRsu0
こういうのロマンあるな。
アンコールワット行った時、中世の日本の武士がアンコールワットに落書きした柱があると聞いたけど、見つけられなかったわ。
50: ID:4XvFh1SZ0
今ググったら1600年代の日本人はアンコールワットをインドにある仏教の聖地と勘違いしちゃってたからなのか。
しかもそれに気付いたのは19世紀かw
教科書に載らない面白エピソードだな
古代の「参上」落書きから、まさかの東西文化交流史にまで話が広がりました。チカイ・コッラン氏も、まさか2000年後に自分の名前が極東の島国でネタにされるとは思わなかったでしょうね。

❓ 読者の疑問を解決!FAQ

Q. 2000年前のインド人「チカイ・コッラン」はどうやってエジプトまで来たのか?

A. 当時、インド西海岸とエジプトの紅海沿岸を結ぶ「季節風貿易」が確立されていました。1世紀頃の航海記録『エリュトゥラー海案内記』によれば、季節風を利用すれば数週間から数ヶ月で航行可能でした。彼は商人、あるいはその一行に加わった旅人であった可能性が高いとされています。Wikipedia

Q. 落書きが見つかったのは具体的にどのファラオの墓か?

A. 主にラムセス6世の墓(KV9)です。この墓は古代ローマ時代から「観光名所」となっており、壁面にはギリシャ語やラテン語の落書きが1000点以上残っていますが、その中に混じってインドのブラーフミー文字が見つかったことが今回の大きな発見です。画像

📜 時代背景・歴史まとめ:古代のグローバル化

ニコラス・ヴィアネ氏(ローザンヌ大学准教授)によれば、これらの落書きは古代のグローバルな繋がりの証拠であり、彼らは単なる労働者ではなく、知的好奇心を持って歴史的建造物を訪れた「初期の観光客」であったと指摘されています。情報元
1世紀当時の「王家の谷」は、すでに建設から1000年以上が経過した「伝説の遺跡」として、地中海世界やインドからも人々を引き寄せる一大観光スポットとしての側面を持っていたようです。

💡 関連する面白トリビア:日本人の「参上」伝説

スレ内でも話題になったアンコールワットの落書き。1632年(寛永9年)、森本右近太夫一房という武士が、アンコールワットを「祇園精舎」と勘違いして参拝し、柱に墨書を残しています。
「チカイ・コッラン」も「森本右近太夫」も、聖地を訪れた感動を形に残したいという欲求は同じだったのかもしれません。現代の我々も、観光地でのマナーには気をつけつつ、先人たちの「足跡」に思いを馳せたいものです。https://www.youtube.com/watch?v=48Sizk_F8gM

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