長崎は9日、70回目の「原爆の日」を迎える。被爆者は核兵器廃絶を願い、惨禍を伝える「語り部」活動を続けてきた人々もいる。だが、一部の語り部は韓国や中国が主張する旧日本軍の“加害”や、安全保障・原発に関する政治色の強い意見まで子供らに発信する。昨夏、こうした語り部の言動を制止した長崎県島原市の市立有明中学の本田道隆校長(59)に、公教育の現場における「語り部」活動について考えを聞いた。(九州総局、奥原慎平)

制止したことは事実です。語り部の末永浩さんは旧日本軍の加害行為を子供たちに示した。中国、韓国の一方的な主張に沿った内容です。こうした個人の考えを、成長段階の子供に刷り込まないでほしい。教育上、止めざるを得なかったのです。
末永さんは原爆投下直後の長崎市内の様子を語り終えると、突然、リュックサックからラミネートされた写真を4、5枚取り出したのです。韓国・ソウルにある西大門刑務所歴史館の展示物や、マレーシアで日本兵に銃剣で刺されたと主張する男性、中国遼寧省の平頂山殉難同胞遺骨館の展示物などでした。
末永さんはその写真を掲げて、こう語りました。
「マネキンの日本兵が、朝鮮の人を逆さまにつるして、焼きごてを当てています」「日本の兵士に銃剣で刺され、命をとりとめたという男性です。家族はみな日本軍に殺されました」「日本兵は平頂山の村人3千人を殺して、遺体をダイナマイトで爆破して埋めたんです。現在資料館になっていて、この頭蓋骨の写真には銃弾の痕が残っています」
被爆者の体験は非常に貴重なものだと考えています。しかし、話の内容は 被爆体験でもなんでもありませんでした。
こうした話を聞けば、発育段階にある生徒は「日本軍は悪かった」という感想を持つでしょう。さきの大戦中、自分たちの先人が、いかに悪かったかが、刷り込まれてしまうのです。
長崎県内の小・中学校は、長崎に原爆が投下された8月9日を登校日としています。その前から平和学習の場も設けます。
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有明中学の場合、担当教員が平和学習の授業内容案を作成します。
当初、教員が示した内容には、日本軍の加害行為の学習として南京事件などが盛り込まれていました。客観的な事実が定まっていないので排除しました。また、語り部については、すでに末永さんに決まっているという話でした。
実は末永さんは、私と同じ元社会科の教員です。末永さんは日教組系の「長崎県教職員組合」の組合員でした。彼らは平和学習に非常に熱心で、かつ教育界での発言力も強いように感じています。
私は、末永さんに対して被爆体験だけを語ってもらうよう、担当教員を通じて事前に何度も念を押しました。しかし、話の内容は心配していた通りだった。
私は、末永さんを招いた立場の人間です。終了後に、制止した理由を説明しようと、末永さんと校長室で話す機会を設けました。
「(資料館の展示写真について)事実かどうかわからないじゃないですか」などと伝えましたが、末永さんは「すいません」を数十回繰り返すだけ。事情を聞こうとはしませんでした。
社会科の教員ならば、真偽のはっきりしない資料を持ち出すのはいけない行為だと分からないのでしょうか。1年が経った今になって、なぜ記者会見してまでこの問題を言うのでしょうか。
戦後70年がたちました。
いつまで韓国や中国に謝り続けるのか。謝り続ければアジアの人々と、日本の子供が未来志向の関係を築けるのでしょうか。フェアな外交ができるのでしょうか。私はそうは思いません。
こうした平和学習のあり方について、文部科学省も県も指針を持っていない。いわば中身に歯止めがない状況です。
各学校の平和担当者が起案し、学校長の責任で作成するのが一般的です。公教育としてふさわしくない内容が出てくるのも、ここに問題があるのかもしれません。
■原爆惨禍、かえって伝わらぬ
平和学習の場で、一部の語り部が被爆体験だけでなく、偏った政治思想・信条を伝えていた問題は、以前から公教育の現場で指摘されてきた。
平成18年1月。語り部を小・中学校などに紹介する長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」は「被爆体験講話では憲法改正や天皇の戦争責任などに触れずに、被爆体験を主に伝えるべきだ」とする指針をまとめ、所属する語り部に伝達した。
修学旅行で長崎を訪れた学校の一部から「被爆体験の話がほとんどなく、個人的な政治的意見ばかりだった」との指摘が上がったためだった。
この問題は大きく報じられた。「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)は反発して公開質問状を出した。こうした声に抗し切れず、平和推進協会は同年7月、指針を撤回した。
歯止めがきかなくなった語り部の一部は、政治的発言のトーンを強める。
一部の語り部が、旧日本軍の加害行為など政治的に偏向した発言を繰り返す背景には、教職員組合の組織的な意図も見え隠れする。
「平和学習の担当者は、まずは日教組の組合員がなる。その中身は、日本の行為を一方的におとしめる中身になっている」
長崎県内のある教員はこう指摘した。
事情は広島も同じだ。広島県の被爆者で、語り部を続ける原広司氏は、かつて産経新聞の取材にこう語った。
「会員の語り部に、教員側から、中国・韓国での加害行為や、『従軍慰安婦』について語れる人を紹介してほしいなどと要請されます。なぜ被爆者が加害を語る必要があるのか。一部の教員は加害を強調している」
昨年8月9日、長崎市内で開かれた平和祈念式典で被爆者代表となった城臺(じょうだい)美彌子(みやこ)氏も元日教組の教員だ。安倍晋三首相の前で「集団的自衛権の行使容認は平和憲法を踏みにじる暴挙だ」などと訴えた。
城臺氏は警察庁が中核派系と認定する「すべての原発いますぐなくそう!全国会議」(NAZEN)の地方組織「NAZENナガサキ」の設立に関わった。
平和学習も公教育の一部であり、中身については、学習指導要領に適合しなければならない。
しかし、文部科学省も県教育委員会も学校側に丸投げし、野放しとなっている。
有明中学校(長崎県島原市)の本田道隆校長が語るとおり、被爆者の痛ましい経験は、後世の日本人、そして世界に広く伝えなければならない。
だが、教員や語り部が一方的に政治的意見を押し付けることは、事実を学ぶ教育のあり方を逸脱するだけでなく、被爆の惨禍を後世に伝承することを、かえって阻害しかねない。(奥原慎平)
◇
有明中・語り部問題 平成26年7月1日、被爆者の末永浩氏(79)が有明中学(長崎県島原市)で、全校生徒340人に被爆体験を話した。平和学習の授業だった。末永氏は被爆体験に加えて、旧日本軍の加害行為に触れ、反原発を主張するなどしたため、その場にいた学校長の本田道隆氏が講話を制止した。
この問題が今年7月31日付の毎日新聞長崎県版で報じられ、末永氏は同日、長崎市内で記者会見を開いた。
末永氏は原爆投下直後、親族の安否を確認するため爆心地近くに入り、被爆した。長崎市内の中学教諭を経て、現在は、被爆体験の継承を目的とする「長崎の証言の会」の事務局長などを務めている。
産経新聞の電話取材に対して末永氏は「すでに記者会見は終えたから、取材には応じない」と語った。[/su_spoiler][/su_quote]
ただその時憎しみは全部左翼と在日に向かう
お前らの捏造は全て逆効果だシナ朝鮮
そうなるだろうな 大好きだったじいちゃんばあちゃん世代をとんでもない悪人って侮辱し続けてきやがったんだから
今は日本の敗戦をいいことに、自分たちの悪行をなすり付けやがったのがほとんどだと思ってるわ
騙された分だけ怒りは深くなるよな
朝鮮売春婦と変わらん
聞いた話を、あたかも自分で見たかの様には話さないでくれ。
歴史の教訓?ばかじゃないの。 単に陥れたいだけだろ
中韓関係ないだろアホか
語り部協会wから即追放するように働きかけろや
未成年に洗脳工作みたいなことする奴は、児童福祉の観点から 逮捕して刑事罰与えろ
広義の児童虐待だろ
勇気あるよ
なんで日本が加害者になってるパターンばっかりなんだよ
なんで日本が戦争に踏み切ったのが全部悪いって結論ばっかりなんだよ
一般人に原爆落としたアメリカが圧倒的にクソだろうが
日本の子供達は日本が正しく教育する。
中韓の異常な妄想は要らない。
時間と共に記憶なんて風化するし余計な脚色が必ず入る。
やっぱ色んなソースが出るまで物事はわからないね
両方の意見を聞くことが大事
どちらが正しいか判断するのが個人の役目
とくに朝鮮人は併合が気に入ら無かったら先祖恨め
というよりも、国は国民にも謝るべきだろう。
日常生活を考えてみたって、国と国民を同一視することがどれだけできるのか。
大枚金をむしり取られて、あれこれ指図されて、下手をすると言われもないことで捕まえられてやりたい放題される。
国ってのは国民の第一の敵だ。
慰安婦も被爆者もそう。
体験したからといって、政治的背景を含めた全てを知っているわけじゃない。
それだと満足しない人達がいるって事なんだろうな。
ネットの普及で情報がすぐに拡散する。
メディアや「識者」のウソ、拡張、妄言にはすぐに検証や反対意見がぶつけられる。 語部には「中韓の主張を子供に刷り込む」と紐付けられる訳だ。
ほんとにいい時代だ。
でも学校で子供にプロパガンダすんなって思う
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p style=”color: gray; text-align: right;”>引用元: ・【長崎】 「中韓の主張を子供に刷り込まないでほしい」長崎被爆の伝承妨げる“政治の語り部” 島原・有明中の校長に聞く
ネット時代になって、糞左翼の嘘と下劣さが次々に暴れるようになった。
まさにネットには国を動かす力がある。
ソウルの日帝博物館の日本兵って誰なんだろうな。
大韓帝国とは戦争もしていない。併合後は3・1運動はあったが全員釈放されている。
一部日本軍も駐在していたが少人数で、昭和16年には廃止されている。
独自組織の軍隊みたいのがあったようだが、基本的に半島人の組織だ。
警察も署長クラスまで基本的に半島人の組織だった。
非常に不思議だよな。