今回は、神戸元町商店街で起きた飲酒運転による暴走事故の判決について、スレでの反応をまとめていくぞ。
88歳の高齢男性が飲酒運転の末、助手席の奥さんを亡くし、他の人も負傷させたという痛ましい事故なんだが、下された判決はまさかの執行猶予付き有罪判決。その判決理由が、世間の怒りを買ったようだ。さっそくスレを見ていこうか。
【速報】神戸元町商店街“暴走”事故 飲酒運転の末…助手席の妻ら2人を死傷させた88歳男に執行猶予つき有罪判決 神戸地裁
YTV2025年9月10日 13:23
https://news.ntv.co.jp/n/ytv/category/society/yt8d9ee2cfb69d40868f7b49e5eb3f4324
去年3月、兵庫県神戸市の商店街で車を暴走させ、助手席の妻など2人を死傷させた罪に問われていた88歳の男に対し、神戸地裁は10日、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を言い渡しました。
判決で神戸地裁は、「飲酒した上で妻の送迎のために犯行に及び緊急性は認められず、相当危険で過失は重大」とする一方、執行猶予をつけた理由について「(死亡した)妻が飲酒を知っていた可能性は否定できず、被告本人が反省していることに加え、前科がなく高齢である」と説明しました。
また衝突した時には、太森被告の車は時速100kmほどのスピードに達していたとみられています。事故後の捜査で、太森被告の血液からは基準値の約2倍の濃度のアルコールが検出されていて、「食事を流し込むために酒を飲んだかもしれない」などと話していたということです。
太森信男被告(88)は2024年3月、神戸市中央区の「神戸元町商店街」で、酒を飲んだ状態で軽自動車を運転し、店のシャッターや清掃作業中のワゴン車などに次々と衝突。助手席にいた太森被告の妻(当時82)を死亡させ、ワゴン車の運転手の男性に軽傷を負わせたとして、過失運転致死傷と道路交通法違反の罪に問われていました。
太森被告はこれまでの裁判で、「速度は覚えていませんが、それ以外は間違いありません」と起訴内容をおおむね認めたうえ、「私の過失によるもので、申し訳ないことをしたと思っている」「長年連れ添ってくれた妻にも申し訳ない」などと反省の弁を述べていて、検察側は、「極めて悪質性の高い危険な行為で過失は重大」として懲役4年を求刑していました。
最終更新日:2025年9月10日 15:21
正直、こいつの方が飲酒運転している時点で大罪だよな
>>3
>「食事を流し込むために酒を飲んだかもしれないw」
w草w
死んだのは同乗者
罪を認め反省している全然違うんだよなあ
刑罰の差もだが、世間の反応も大違いだよな。
飲酒運転で事故起こすなんて、飯塚よりも悪質だろうに。
飯塚はまだ若い未来のある親娘をやってしまったのがまずかった
遺族感情は大きく影響されるからね知り合いで老人(持病持ち)をはねてあの世送りにしてしまった人がいたけど
別に刑務所にも入らずそのまま仕事も続けてたし車も乗っていた
遺族と示談がすんで、その人がいうにはそんなに責められもしなかったって
夜遅くだったから徘徊老人で家族が困ってたのかもw
「飯塚」との比較、そして「上級国民」疑惑
まさかの執行猶予判決に、早速「飯塚」の名前が出てきたな。たしかに、飲酒運転による事故で、しかも時速100kmでの暴走というのは、飯塚事件とはまた違った悪質さがあるよな。
「食事を流し込むために酒を飲んだかもしれない」という被告のコメントも、反省しているのか怪しいと捉えられても仕方ない。
そして、判決理由にある「高齢であること」「前科がないこと」「妻が飲酒を知っていた可能性」という部分が、世間の「上級国民だから甘い判決なんだろ?」という疑念をさらに深めているようだ。
馬鹿じゃねえのか
飲酒でふざけんな
事故による死者ゼロという考え方もあるかもしれない
ならまぁそこまで重罪じゃないのかもな
88歳の運転と司法の判断
「高齢なら仕方ない」という意見も一部あるが、飲酒運転となると話は別だという声が圧倒的だな。たしかに、88歳という年齢で車を運転すること自体に疑問を呈する声も多い。さらに飲酒となると、その判断能力はさらに低下するだろう。
「妻が飲酒を知っていた可能性」という判決理由も、共犯のような扱いだと受け取られ、大きな反発を呼んでいる。この判決、本当に妥当なんだろうか?
88だぞ88
70代、なんなら60代でかなり怪しい運転してる人間わんさかいるのに、88歳にまともな運転なんて出来るわけねーだろって
再犯の恐れも無いだろうし
余命も僅かだろうし
刑務所に入れるのも憚れるわな
あほか
まあ今の刑務所は高齢者にとって外の世界のそれより素晴らしい介護施設だと言われているみたいだからな
国は刑務所に入れたくないのだろう
受刑者が介護してるんじゃなかったっけ?
「刑務所の特養化」問題と判決の裏側
ここに来て、判決の裏にある別の問題が浮上してきたな。それは「刑務所の高齢化問題」だ。
高齢の受刑者が増えることで、刑務所が介護施設化してしまうという指摘は以前からあったが、今回の判決にも影響している可能性があるという意見も出ている。刑務所に入れることで、かえって国や看守の負担が増えるから、執行猶予になったのではないか、という見方だ。
しかし、それでも飲酒運転で人を死なせた事実は重い。果たして、この判決は世間の納得を得られるのだろうか?
シモの世話、風呂とかの程度ならそれでいいが、
刑務所内で認知症や寝たきりになってる爺婆が増えてヤバい一般だと特養なんか高額で順番待ちで困ってるほどなのに
刑務所だと(放置するわけにもいかないので)
自ずと無料で特養並の介護待遇になってしまったりする。
クズ
子供が死んでも良いって言うの
家で普通に生活できる実質無罪であり
執行猶予期間内に罪を犯したら次は刑務所だぞ
という甘々な判決である
他人を轢き殺していたら執行猶予はつかなかったと思う 飲酒運転だし
普通は厳罰を望む遺族感情などが重視されるけど、この場合遺族が自分なわけで…
被害者が身内だから?問われる司法の公平性
「不幸中の幸い」という発言には批判が殺到しているが、被害者が身内だったから執行猶予が付いたのではないか、という意見も出ているな。たしかに、遺族が加害者本人である場合、厳罰を求める声が上がりにくいという側面はあるのかもしれない。
しかし、飲酒運転という重大な過失が絡んでいるにもかかわらず、高齢や身内という理由で刑が軽くなるのであれば、「法の下の平等」はどうなるんだ?と疑問の声が上がるのも当然だろう。
殺人を前科なくて高齢なら執行猶予っていうのかね
一つだけ幸いと言えるとしたら死んだのが他人ではなくてめぇの女房だったこと
法の下の平等に反しないの?
すぐそこまでだからと飲酒運転してる爺婆はけっこういる
高齢者は犯罪しても責任能力が無いというなら高齢者からは選挙権を取り上げろよ
死に損ないは意思表示などせず保護されて生きろ
「老害」論争と司法のジレンマ
このスレでは、高齢者の運転だけでなく、昨今の「老害」問題にまで発展しているな。一部の過激な意見ではあるが、今の高齢者が特別有害だという主張も出てきている。
たしかに、近年高齢者による事故は増加傾向にあるし、司法がその年齢を考慮する一方で、世間は「責任能力がないなら権利も制限すべき」という厳しい目を向けている。この司法と世論のギャップは、一体どこから来ているんだろうな?
社会は今どきの老害だけを問題視してるんだ。今どきの高齢者が特別有害。
今の老人が未成年だった頃の方が教育水準は低かったことは教育白書から容易に読みとれる。
いわゆる「ゆとり世代」よりも、学習内容が少なかった。マナー教育も常識教育も何も受けてこなかったダメ世代。
だから、他の世代に比べてヒドく常識が無く、マナー知らず。歩く有害物質。
そこに老いた脳による劣化がプラスされたもんだから、もうどうしようもない。
犯罪白書でも今の60後半から70代は他の世代に比べ、傷害事件や暴行事件、交通事故(走行距離あたりの)の率が突出している。
こうしたデータがあるにも関わらず、ジジィたちは認めようとしない。なぜか?データが読めないからだwデータも数字も見ようとしない。あっても読めない。読むだけの教養がないwただの生きるゴミ。
本当に認知機能や脳の衰えだけが原因というなら、昔から老人は社会から嫌われていたはずですよね。でも違いますね。
老害が全世代から嫌われ、社会の敵になったのは、ここ数年のこと。
今の老人が特別有害なんです。特別今の老人が狂ってるんです。
奴らの教育水準と生きてきた時代の民度が問題なんです。
小さなお子さんをお持ちの方は、老人を見かけ場合、お子さんの手をしっかり握ってあげてください。
ウイルスより危険です。ご注意を!!
ゴミにはごみ箱、クソに便器、それぞれ捨てる場所がありますが、
老人はなぜか人権を与えられてしまったため、しまう場所もなく、
正直ゴミやクソより扱いにくい。
刑務所に入れて職員に世話させる苦労をかけるくらいなら、世間に放置する方が罰じゃね? 介護してくれる妻は自分の手で殺したし、もうクルマには乗れないわけだし。
飯塚の時も、無料で介護されるだけじゃんか、ってレスあったけど、
さっさとブチ込めって声ばかりだったぞ。
判決理由への疑問と司法への不信感
「妻が飲酒を知っていた可能性」という判決理由には、やはり多くの疑問が投げかけられているな。飲酒運転幇助とでも言いたいんだろうか?
「検察と裁判官が日本人の敵」という過激な意見まで飛び出しているが、それだけ今回の判決が世間の常識と乖離していると感じる人が多いということだろう。AIに判決を任せた方が公平だ、という声まであるのは、司法への不信感が相当高まっている証拠だ。
地裁がこんな事を言ってるのですか…
「反省している」と「前科が無く」は分かりますが、妻が知っていたかとか高齢は関係ないのでは?
飲酒運転なんて誰もがNGだと分かっているのになぜ危険運転致死にならないんですかね?記事には書かれてませんが執行猶予がついているという事は適用されてませんよね。
妻が酒気帯び運転を幇助しなければ酒気帯び運転しなかった可能性があるってことだろう
加害者の身内が被害者とはいえ激甘処罰
検察も裁判所も廃止でいいよな
近隣国に外注でいい
判事ってAIで十分だと思う
年齢とか性別とか個人のお気持ちで変えるのを法治とは言わん法の平等と公平とか建前ですら欠片もない、せいぜい年齢一桁の子供の未熟くらいだろ例外にするにしても
「年齢は関係ない」厳罰を求める声と介護刑務所
「年齢は関係ない、刑務所に入れろ」という声が多数を占めているな。たしかに、飲酒運転で人を死なせた事実は、年齢で軽くなるべきではないと考えるのが一般的だろう。
しかし、一方で刑務所の高齢化問題は現実として存在している。このジレンマをどう解決するのか、司法の課題は山積しているようだ。介護刑務所の新設や、シャバに放置する方が残酷だという意見まで出てきているのは、事態の深刻さを物語っているな。
刑務所ぶち込め
身内とはいえ殺してんだぞ甘ったれるな
不起訴になるか、起訴されて裁判になっても執行猶予付きの実質無罪判決ばっか
なら執行猶予も仕方ない…
ってなるかボケ!妻もこいつが飲酒運転してくるってわかってたはずと共犯みたいに決めつけてる判事は異常だろ
やっぱ司法おかしいと思う。なにか、ないの?
裁判員が異議つけられるとか
高齢だろうが飲酒運転で暴走したら執行猶予はない
ただ、実際問題として、刑務所暮らしは無理だろうから、
介護刑務所を新設し、そこで一生禁酒で、閉じ込めるでええやん
囚人高齢化で刑務所が特養化しつつあって、ちょっとした問題になってるんで
むしろ88歳にとっては「シャバで1人で生きろや」の方が残酷と言える
全く無関係な他人にもケガさせてんのに実質無罪はありえんわ
年寄りだから何だってんだよ
「食事を流し込むために酒を飲んだかもしれない」
毎日飲んでる奴はこういうこと言うよね
日本酒は水、ビールはサイダーみたいなもんだと
【管理人による深掘り解説】
今回の神戸元町商店街での痛ましい事故と、それに下された判決は、多くの人々に衝撃を与え、司法のあり方について深く考えさせるものだったな。
高齢者ドライバーと飲酒運転:厳罰化を求める声と司法の現実
近年、高齢者ドライバーによる事故は増加傾向にあり、特に飲酒運転が絡むと、世論は「厳罰化」を強く求めるのが常だ。
危険運転致死傷罪の重み
日本には「危険運転致死傷罪」という、アルコールなどの影響で正常な運転が困難な状態で人を死傷させた場合に適用される、より重い罰則があるんだ。しかし、この適用には運転者の状態や事故状況が慎重に判断され、裁判官の裁量に委ねられる部分も大きいんだな。
参考: 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律 | e-Gov
今回の判決では、執行猶予の理由として「前科がない」「高齢である」「(死亡した)妻が飲酒を知っていた可能性」が挙げられた。これらは情状酌量として考慮される要素だが、世間からは「年齢が免罪符になるのか」「被害者が身内だから甘いのか」という強い反発が生まれている。
刑務所の高齢化問題
実は、この判決の背景には、日本の刑務所が抱える深刻な問題も関係している可能性があるんだ。法務省の『令和5年版犯罪白書』によると、65歳以上の高齢受刑者の割合は年々増加していて、刑務所が「特別養護老人ホーム」化しつつあるという指摘もある。高齢者を刑務所に入れると、医療費や介護費用、人員の負担が大きくなるため、司法判断に影響を与えている可能性も否定できないんだな。
世論と判決の乖離:飯塚事件との比較から見る司法の難しさ
今回の事件は、飯塚事件(旧姓:飯塚幸三氏が起こした池袋暴走事故)と比較する声が多く聞かれた。どちらも社会的影響の大きい重大事故だが、判決に対する世論の反応は大きく異なっている。
論点1:被害者と加害者の社会的立場
飯塚事件では、加害者が元高級官僚という社会的地位にあったことから、「上級国民」という言葉が生まれ、世論の大きな反発を招いた。今回の事件の加害者は一般市民だが、それでも判決の「甘さ」が、社会的な不公平感と結びつけられてしまったようだ。
論点2:反省の態度と社会的制裁
裁判では、加害者の反省の態度が重要な要素になる。今回の事件の被告は「食事を流し込むために酒を飲んだかもしれない」と供述しており、この発言が「反省していない」と捉えられ、世論の怒りをさらに煽ってしまった面もあるだろう。
裁判官は法律と事実に基づいて客観的な事実認定を行う必要があるが、一般の人々は被害者の心情や加害者の態度といった主観的な要素も重視しがちだ。このギャップが、司法と世論の間に深い溝を生む原因となっている。
参考: 裁判官に求められる資質・能力について記載された文献等
私たち一人ひとりが感情的な議論だけでなく、法的な視点から問題をとらえる姿勢を持つことも重要だが、司法側もその判断基準をより分かりやすく国民に説明していく努力が必要だろうな。
