【戦国ナアナア】信長の残酷神話崩壊、実は交渉と経済合理性の時代だった

💡 小学生でもわかる戦国時代の戦争

戦国時代の戦争は、ドラマで見るような「皆殺し」の戦いばかりではありませんでした。実際には、敵を完全に滅ぼすより、降伏させて家臣にしたり、領地を安堵(そのまま認める)することで、自分の勢力を広げる方が合理的だったのです。例えば、豊臣秀吉は「本領安堵」という政策で、降伏した大名の領地をそのまま認め、多くの大名を従えました。織田信長も、残酷なイメージが強いですが、最近の研究では比叡山焼き討ちも交渉決裂後の限定的な攻撃だったと見方が変わっています。ただし、宗教勢力との戦いや、裏切り者には厳しい処罰もありました。
1: ID:KsTv7Xp00 @スレ主
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天下統一を目前にして倒れた織田信長 「冷徹さ」「残酷さ」「先進性」のいずれも、実はそんなでもなかった“3つの論証”
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c80039d447d544ec8e1085f75651640364b9e4
10: ID:0iNk5ZUZ0
戦乱の時代は、凄惨な殺戮の連続ではなく、富と領地を媒介とした高度な経済交渉の場であった。武将たちは敵を根絶やしにするよりも、有能な人材をいかに自陣営に引き込むかに腐心していた。現在語られる血塗られた英雄譚の多くは、後世に捏造された劇的な演出に過ぎない。

なぜなら、大量の殺戮は、戦国大名にとって最大の経営損失を意味するからだ。兵士や農民を失うことは、そのまま石高の減少、つまり国力の衰退に直結する。真の支配者は、敵を滅ぼすことよりも、彼らを自らの組織に組み込み、新たな労働力として再編することに全力を注いでいた。土地と米という資本を提示し、敵対勢力を自陣へ取り込んでいくような、極めて合理的な拡大戦略こそが実態である。この極めてロジカルな資源の再分配プロセスが、物語としての面白さを加えるために、残酷な英雄の物語へと書き換えられたのだ。

37: ID:E2nGitBE0
秀吉は本領安堵っていって、降伏したら領土は全部認めてやるっていって、どんどん周辺国を懐柔していったらしい
本領安堵っていわれたら抵抗する理由もないし

まあでも、本領安堵してやるっていわれて、いざ降伏したら結構没収されたとかあったらしい

でも、そのせいで秀吉の天下統一はものすごいハイスピードで進んだけど、その分、表面的で弱かった

17: ID:ywdSNXcL0
武将同士ならそうなるが、比叡山や一向一揆などの宗教勢力には手厳しかった
59: ID:pcO8Ljcc0
延暦寺焼き討ちはあまりに僧兵が好き放題してたので信長も1年程かけてた交渉を諦めて非戦闘員の退避を呼び掛けてからの攻略になったと最近の研究で見方が変わってるんだと。しかも焼いたのは本山ではなく関連施設。
64: ID:V7qzU+l90
>>17
●トンデモ作家・井沢元彦の俗流歴史本『逆説の日本史』で広まった「織田信長は”政教分離”を推進した」論の矛盾

・そもそも信長自身が根来寺、熱田衆、津島衆といった宗教勢力の軍事力を利用し合戦に動員させている。
・信長による比叡山焼き討ちは信長が上洛以降、延暦寺の荘園(山門領)を不当占拠した事が発端。
延暦寺は当初平和的解決を図り朝廷に訴え、朝廷は荘園の返還を求める。しかし信長は無視し占領が続く。この結果信長と延暦寺の関係は悪化し後に浅井・朝倉が比叡山に陣を構える遠因となった。また信長は延暦寺にただ中立を求めたのではなく「織田に加勢(!)すれば荘園を返還する」という書状を出した。
・室町幕府将軍の足利義昭が織田と浅井・朝倉の和睦を仲介した志賀の陣では延暦寺も和睦の対象だった。にも関わらず比叡山焼き討ちが行われ、義昭の面目が潰された事で信長との関係悪化につながったとされる。
・「比叡山に女子供がいたのはおかしい/焼き討ちはごく小規模だった」⇒「境内都市」を知らないニワカ。比叡山の麓の坂本の街は物流の要衝として栄え僧侶以外の町民も多く暮らしていたが、織田軍の虐殺の中心地となり灰燼に帰した。
・石山合戦や伊勢長島の虐殺で知られる本願寺(一向一揆)との戦いも、信長の大坂への侵攻が発端。それまで本願寺は信長が要求する多額の矢銭も支払い平和を望んでいた。
・越前平泉寺では織田に協力的な派閥をそそのかし、武装解除どころか武力抗争を勃発させる。
・また信長は自分に恭順した勢力に対しては関所や座といった既得権益を認め、寺社等が関税を徴収してきた「京の七口」は信長の京支配後も存続していた。こうした関所が廃止されたのは豊臣政権の時代。
…つまり信長は別に現代的な「政教分離」の考えなど持ち合わせず、他の大名同様に自分の都合に応じて宗教勢力と手を組んだり敵対していただけに過ぎない。

58: ID:1YrToAHn0
おいおい、どうしたどうしたw

荒木村重の謀叛では
荒木村重が敗戦の責任を取らずに一族郎党が責任を取らされ
600名以上が処刑されて、信長残酷とか騒いでなかったか?w

ホンマあいつらは…w

61: ID:RehYwxex0
120万石の加賀藩前田家は農民の借金をチャラにしたり今で言う労働生産性を上げる努力を欠かさなかった
27: ID:A9FPK9I70
詫び石やんよw
30: ID:KsTv7Xp00 @スレ主
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>>29
そう、ナアナアで終わらせられると思っていた。日露戦争みたいに。
ただ、アメリカは絶滅戦争をやっていた。日本は絶滅戦争をやった事がないから分からんかった。
18: ID:OI95kytp0
こんなのが通用するのって
所詮は同じ文明の中に住む同族同士で
共有してるものが沢山あったから
異民族との戦いじゃそうはいかなかった
日本はとんでもなく幸運な国
62: ID:E2nGitBE0
まあ、秀吉が猿の人たらしで、家康が気の長い狸なら、信長は短気なカリスマ、独裁者タイプのほうがキャラ分けとして有効だったんだろ

歴史小説でも、信長は暴君としてえがかれているのは、そっちのほうがストーリーが転がしやすいからだろ
暴君タイプのほうが光秀に裏切られた理由もつくりやすいし、変に日和ったキャラよりもカリスマタイプのほうがキャラ人気もつく

フィクション構成上の都合だよ
歴史なんかしょせん物語なんだから、面白いほうを採用したらいいよ

弁慶の立ち往生にたいして、立ったまま死ぬなんてありえないってマジレスしてもしょうがないだろ

(編集後記)戦国時代の戦争は、経済合理性と人材確保の観点から「ナアナア」な交渉が基本だった。しかし、裏切りや宗教勢力には容赦ない粛清も行われ、そのバランスが戦国大名の手腕だった。現代のネットミーム「詫び石」にも通じる、日本的交渉術の原点が見えるスレだった。

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