
【スレッド引用元】
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https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/24/02727/
「社畜PCを除いた日本人のPC、Windowsはシェア10%まで低下」というインパクトのあるスレタイに、ネット民が食いつきました。しかし、その裏には「社畜を除いたらそりゃそうなるだろ」という冷静なツッコミが。今回の議論は、PCの使われ方の変化、特に「個人のPCはもうスマホで十分」という現代の感覚を浮き彫りにしています。若者からシニア層まで、PCに対する意識はどう変わってきているのでしょうか。
セクション1:タイトルに騙されるな!「社畜PC」を巡る戦い
「社畜PCを除いたらシェア10%」というスレッドタイトルに対し、多くのネット民が「そりゃそうだろ」とツッコミを入れます。この一見煽り的なスレッドタイトルは、個人用PCと業務用のPCの間に横たわる、深い溝を象徴しているのかもしれません。
だよね
そもそもパンピーなんてスマホで十分なんだし
そりゃPC使ってる奴は減るだろ
除くなよ・・
解説:「社畜PC」という言葉が、今回の議論のキーワードです。仕事でPCを使うのが当たり前のビジネス層と、プライベートではスマホやタブレットで事足りる一般ユーザー。この二つの層を意図的に分離することで、Windowsのシェアが低いという結論を導き出しています。これは、PCの使われ方が多様化している現代の状況を如実に表していると言えるでしょう。
セクション2:教育現場から始まる、Windows離れ
スレッドでは、教育現場でのPCのOS選択も話題になっています。「GIGAスクール構想」で配布された端末の多くがChromebookやiPadであることから、将来のWindowsユーザーが減っていくのではないか、という懸念が示されています。
子供たちから侵食しているからな
アプデのバグも多いし。
最低限使える様にしてから就職せーや
紙に文字書くレベルだろ
職場で使うツールの使い方とか職場で教えろよ
解説:教育現場でのPC選択は、将来のPC市場に大きな影響を与えます。Windowsの複雑さやアップデートの問題を指摘する声がある一方で、「社会に出たときに困る」という懸念も根強く存在します。教育現場でのPC教育のあり方について、ユーザー間で意見が分かれています。
セクション3:Windowsユーザーの苦悩と「脱Windows」への道
Windowsのシェアが低下している背景には、ユーザーの不満も少なからず存在します。「Windows 10で終わり」と言っていたのにWindows 11が出たことや、アップグレード時のハードウェア要件、そして煩わしいアカウント紐付けなど、Microsoftへの不信感が露わになっています。
買い換えたいんだけどと聞かれると
ゲームやりますか?
やりません
動画、画像編集やりますか?
やりません
文書作成やりますか?
年賀状くらい
じゃあ今使っているパソコンとプリンターでよくてパソコンはオフラインで使って
あとはタブレットで事すみますよ
というと
ものすごい剣幕でいやあれはしたいしこれもしたいしと
すごくどうでもいい理由つけて否定してくるから
面白いよ
試してみて
でも今後も繰り返しそれを続けて行く事でしょう信用できません
win10で何も困ってないのに
ハードウェア条件つけてアップグレードしやがってウゼー
何でもかんでもID紐付けしないと機能使えないようにして
更新だのアップデートで金ばっか取りやがるし
解説:ユーザーがPCに求めるものがシンプルになるにつれて、Windowsの「余計な機能」や「面倒な仕様」が煩わしく感じられるようになっています。多くのユーザーは「年賀状作成くらい」しかPCを使わないにもかかわらず、高機能なWindowsを使い続けることへの疑問が、脱Windowsを加速させているのかもしれません。
セクション4:Microsoftの生存戦略と、PCの未来
Windowsのシェア低下が報じられる一方で、Microsoftの株価は絶好調です。この矛盾はどこから来ているのでしょうか。スレッドでは、MicrosoftがPCメーカーから「クラウド屋さん」へと変貌を遂げている現状が指摘されています。
何で食ってるんやここ(´・ω・`)
azureとoffice系
学生、素人はアップル
解説:Microsoftは、個人ユーザー向けのWindowsで収益を上げるのではなく、法人向けのクラウドサービス「Azure」やオフィスソフトのサブスクリプションで大きな利益を上げています。つまり、Windowsの個人向けシェア低下は、Microsoftの経営戦略にとって大きな問題ではない、という見方が支配的です。PCの未来は、OSよりも「何をするか」によって決まる、そんな時代が来ているのかもしれません。