巨人軍OB会長の中畑清氏は、娘が謝るまで尻を叩き続けたことがあると明かしました。それを「私なりの教育だった」とし、阿部氏も家族の絆を取り戻せると訴えました。
そして、俳優の三田村邦彦は、子どもに善悪を教えることまでも「虐待」という言葉で済ませてはいけないのではないかと疑問を呈し、時には体罰もやむなしとの見解を示していました。芸人のほんこんも同調しました。
愛に基づく指導なのに、なぜ阿部氏は逮捕されなければならなかったのか、という意見です。
彼らが言うように、過去には暴力に近い体罰が黙認されていたことは事実です。それによって人格を形成されてきたと考える人たちがいることも否定することはできません。
いまの日本の社会は、そのような教育を受けてきた多くの人たちによって支えられているとも言えるのです。
しかしながら、ひとたびこのような事件が起きて、自らが受けてきた教育の是非が問われる事態になると、“暴力やむなし”論を熱心に訴える人たちがあらわれる。この不可解な現象を、いったい何と名付けたらいいものか……。
そもそも、体罰や暴力によって秩序を教え込むことは、そんなに褒められたことなのでしょうか? 仮にそれでルールや道徳を重んじる人間に育ったとしても、その根拠となるのは後ろ向きな恐怖でしかありません。
“俺もやられてきて立派になったんだから、お前もやられて当たり前”。これこそが、暴力をおおっぴらに肯定し、阿部氏の長女に対する行動を擁護する人たちに共通している感性です。
このいびつなバランスこそが、いまの日本社会が抱える大きな問題なのではないでしょうか。
もちろん、体罰や暴力が子どもの教育やしつけに効果的だと考えることは自由だ。ただし、それを世の中に向けて公表する自由は、“私は野蛮です”と宣言することと表裏一体だということはわきまえる必要があります。
そして、今回何よりも卑怯なのは、暴力が許される空間を確保するために、阿部氏を心配し擁護しているということでしょう。そうした野蛮さを中和するために、しくじった人間を思いやるというスピンオフを挟んでいるからです。
つまり、失敗をおかした人に寛大な態度を見せることとトレードオフで、暴力が取引に使われているのです。
それは、何よりも暴力が本質的に陰湿な行為であることを如実に示しているのです。
<文/石黒隆之>
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
女子SPA!
人によって如何様にも捉えられるし何とでもなってしまう
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A
共産党の暴力はきれいな暴力なのでネトウヨじゃなくって安心
酒を飲んでいて反論されてガチギレかまして胸ぐら掴んで暴行したウナギ犬が、躾?、教育?、物事の善悪?
擁護している真性白痴は白痴だけに頭トチ狂ってんのか
消えろバカがバカは消えろ (愛の鞭)
パヨちんは脳みその入ってない猿と同類
頸椎にかんざし刺したら死んじゃう
いじめとかする奴らは殴った方がいい
口で言って分からないなら体に言って聞かせないとな
世間様に迷惑掛けてからでは遅いのだから、親として責任取らないと
ただのDV
「文武両道はありえない」とする立場
一部の強豪校の監督や関係者は、「野球と勉強の両立は無理」と断言しています。
これが日本特有の脳筋バカを生む根っこ。
隊でもこの手のは大揉めしてますわな
元海上自衛隊幹部とか関係ねえ!許さん!お前だけは!【ジパング外伝・至誠に悖るなかりしか】
https://www.youtube.com/watch?v=qdpSsXyHSQg&t=343s
スレイトインビーングだっけか
そうなんだよな
体罰の9割はただの暴力だと思う
本当の体罰ができる奴はあんまりいない
えっ?
今回みたく胸ぐら掴むのと尻を叩くのは全然違うでしょ
とにかくケンカしてる両者を引き離すために胸ぐら掴んだり
羽交い締めにして本人が落ち着くのを待つのは全然有りだと思うし
やらないとケンカがどんどんエスカレートして行くなら
それはそれで仕方ないとなるけど
尻を叩くのは必要のない行為だね
そりゃ時には教育上、罰を与える事も必要かもしれないけど
尻を叩くのとは違った罰の与え方があると思うけどね