引用元url: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1459347737/
この春、高校を卒業した愛(18)=仮名=が福岡県内の里親の家に来たのは中学1年の夏。身長128センチ、体重26キロ。小学校低学年ほどの大きさしかなかった。
持参した服はいずれも6~7歳児のサイズで、多くに血痕が付いていた。
「骨が浮き出るほど痩せているのに、おなかだけぷくっとふくれていた」と、里親の山本直子(58)=同=は振り返る。
愛を診察した大学病院の医師は紙に0~10の数字を書き、「0が死、1がアフリカの飢餓状態の子ども。彼女は1に限りなく近い2だ」と説明し、深いため息をついた。「本当によく生きていましたね」
「給食だけで生き延びた」
愛は九州北部で生まれ育った。幼いころから母と、母の交際相手の男、兄2人の5人でアパート暮らし。
男はいつも子どもたちに暴力を振るい、一番の標的が愛だった。気にくわないことがあると馬乗りになって殴られ、木刀や椅子でたたかれた。
この後遺症で愛は今も、怒鳴り声や大きな物音を聞くと過呼吸を起こすことがある。
家で満足にご飯を食べた記憶はなく「給食だけで生き延びた」。空腹を満たすため万引を繰り返し、小学生のころから警察に何度も補導された。
愛の左手首に3センチほどの傷がある。母に裁ちばさみで切られたときの傷だ。
2010年6月。きっかけはたわいもない口論だった。突然、興奮した母ははさみで愛の髪を切り刻んだ後、左手首を切った。さらに頸(けい)動脈にはさみを当て、「あんた、ここ切ったら死ぬんばい」とすごんだ。
下の兄が母からはさみを取り上げ、「逃げろ」と怒鳴った。愛は夢中で外に飛び出し、血だらけで夜の住宅街をさまよい歩いた。
コンビニの明かりが見えたので飛び込み、店員に助けを求めた。何時間も逃げたつもりだったが、家から歩いて数分の距離だった。
愛は児童相談所に保護され、山本夫妻の元に。母は愛への殺人未遂容疑で逮捕された、と聞いた。
「あのとき兄が助けてくれなければ、私は死んでいた」。今もうっすらと残る左手首の傷痕を見つめ、愛はつぶやく。
里親と出会い「居場所」
今月中旬の夕暮れ。ダイニングルームの大きな食卓でニラの卵とじや肉野菜炒め、みそ汁、白いご飯が湯気を立てる。
「おかん、明日は朝から出かけるけん」「お母さん、僕この野菜いらん」。小学4年の男児から高校を今春卒業した愛(18)=仮名=まで、中高生を中心に男女8人の子どもと里親である山本直子夫妻=仮名=とのおしゃべりが飛び交う。
5年半前、母に手首を切られ児童相談所に保護された愛は、夫妻が福岡県内で運営する「ファミリーホーム」で暮らしてきた。
来た当初、愛の異常な食欲に直子は驚かされた。体は小さいが、毎食ご飯をどんぶりで3杯、おかずも2人前を平らげた。「食べる物がない生活をしてきたから、あるときに食べようという強迫観念があったようだ」と振り返る。
食事中、愛は常に周囲をうかがうような目をした。幼い頃、母の交際相手から「食べるのが遅い」と木刀でたたかれたり、ビールが入ったコップを投げつけられたりしてきたからだ。「何時間かかってもいいけん、安心して食べり」。直子は愛の背中をさすった。
主治医から「やっと飢餓状態を脱した」と告げられたのは高校に入学したころ。ただ、「親元に帰せば、すぐ逆戻りする」とくぎを刺された。5年半で、愛の身長は18センチ伸び、体重も20キロほど増えた。
私には戻れる場所がある
母は逮捕後、執行猶予付きの有罪判決を受けた。愛との接見を禁止されていたが、クリスマスや誕生日には手紙や贈り物を届けた。高2の秋、母から電話がかかってきた。
「保護観察が終わったけ、一緒に住もう。帰ってきて」
ホームに来てからも、愛は直子たちに母のことを決して悪く言わなかった。
お母さんは変わったのかも。もうひどいことはしないはず…。違う。交際相手の男が自分を働かせようと思ってるんじゃないか。ここを出てしまえば、もう戻れないんじゃないか…。
母を信じたい気持ちと不安で心が揺れた。決心させたのは直子の一言だった。
「お母さんのところに帰ってもいいんよ。それで無理やったら、戻っといで」。私には戻れる場所がある、ここにいる大人は信用できる。ここが自分の居場所だ-。そう、初めて感じる自分がいた。
結局、母の元へは戻らなかった。直子によると、この頃から愛の状態は目に見えて落ち着いたという。
今月初旬、高校の卒業式から帰宅した愛は、直子たちに深々と頭を下げた。「ここに来て初めて家庭というものを実感できた。山本のお父さんもお母さんも、私たちのことを一番に考えてくれた。ありがとう」
私は私の道を行く
愛は4月から食品メーカーに就職する。児童福祉法に基づく保護措置が解除され、ホームを巣立って1人暮らしを始める。
愛は、子どもは欲しくないと思っていた。「(母と)同じように虐待しそう」と不安だったから。でも、今は違う。「普通の家庭を築きたい。子どもが帰ってきたら『お帰り』と言ってあげたい」
この冬、母から再び帰宅を促す電話があった。「私を見捨てないで」。愛が「交際相手と別れるなら考える」と言うと、母は言葉を濁した。愛はきっぱりと言った。
「お母さんは自分の道を歩んで。私は私の道を行くけ」
初任給で山本夫妻にプレゼントを買う-。愛はそう決めている。
冬を越えて芽吹く春。貧困や虐待の連鎖を断とうとする若者たちの姿を追った。
おわり
「給食だけ」13歳、26キロ飢餓寸前 母親に手首切られ…里親と出会い「居場所」 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース
スレストはよ
「私を見捨てないで」か…
身勝手だが、本心なんだろうな…
その子の給料目当てかもしれんぞ。
どっちみち一緒に暮らすと高確率で不幸になるから、見捨てた方がいい。
なにその残酷なハナシ
納得だけど
お母さんを見捨てないで?
はぁ?
先に見捨てて交際相手に暴力振るわれたり一緒になってわたしを殺そうとしたのは誰だ?って言ってやれ
おまえの母は山本夫妻しか居ないよ
クッソ泣いた
オムツ外す練習もしてないっぽかったし食うもんなくておむつ食って死ぬとか(´;ω;`)
しかもそのクズ男ともまだ別れてないとか
息子を自殺に追い込んだ母親は、いじめをでっち上げ、校長を殺人罪で告訴した【長野・高校生自殺事件の真実】
2005年12月6日、当時、長野県丸子実業高等学校(現・長野県丸子修学館高等学校)の1年生でバレーボール部員だった、裕太君が自宅で首をつり自殺した。シングルマザーの母、高山さおり(本書表記の仮名)は、「自殺はいじめが原因」と主張し学校側を糾弾。新聞・テレビ・雑誌などのマスコミが一斉報道しただけでなく、人権派弁護士も加わり援護体制を固めた。
マスコミや人権派弁護士にしてみれば、高校生の自殺に、よもやいじめ以外の理由があるなどとは、思いもよらなかったのだろう。そして2006年1月、さおりは、校長を殺人罪などで刑事告訴し、上級生とその両親を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こす。
このいじめ被害者遺族と学校の法廷劇は、さらにその後、校長などからさおりが名誉毀損で逆提訴されるという、異様な展開を見せる。
息子を自殺に追い込んだ母親は、いじめをでっち上げ、校長を殺人罪で告訴した【長野・高校生自殺事件の真実】 | ダ・ヴィンチニュース
なにこのあらすじ
フィクションじゃないの?こわすぎるんだけど
一応ノンフィクションだな・・・。リンク先みればわかるけど、母親が人格障害。
こないだ虐待して首吊らせたバカ親が児童相談所が悪いって責任転嫁してたの
思い出したわ
自殺幇助した親はまだ野放しなんかな
お腹ポコリって書いてるし単純に身長体重だけでは判断できないよ
アフリカの飢餓になってる子供がガリガリなのに腹は膨らんでるのは腹に水が溜まってるかららしいよ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312162453
それと同じだったんじゃない?
146センチ46キロってちょっとぽちゃ気味だよね
一週間に1回ぐらいは、給食一食並のカロリーで過ごす事あるが、毎日は厳しいぞ
特に体育が致命的だろ
依存関係になって自立の阻害にもなる
こどもの頃の栄養状態でこうなる
まあ傷害扱いなんだろうけどさ
情状の余地が微塵もねえだろ
擁護する部分がどこにもねえ
微塵でも擁護できる奴おるか?
里親先で良くしてもらったとはいえ、優しさに飢えてるだろうから上辺だけのクソ男と結婚しそう
子供作ったら本人は虐待しなくても男がDVして同じ境遇繰り返す
教師は気付いてるやろうに
そんなに男に自分が愛されたいか?
子供がいるだけで幸せだろ。
貧乏でもいいから愛情いっぱいかけてあげたらいいのに。
母親かそうじゃないか
それだけの違い
女は男ほど自立心強くないからしゃーない。
自ら不幸の中に帰っていく子の多いことよ
生みの親にまた会いたいとか言うからなぁコワイよな
母親になれない女と、なれる女の違いってなんだろ?父親もそうだけど、母性ってどうしても男が女に勝てない部分だと思うから。
継父と一緒に母親が子供を虐待する事件多いな。吐き気する。
子供に暴力振るった親が逮捕されないのが不思議
親には甘い法律なんとかならんのかね
仕事中なのに読んじゃったよ。
母親の元へ戻らず正解だよ。戻ったら命なかったと思う。
義務教育終了が近づいたので収入を当てにしたんだな