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【戦後後日談】比から小野田さん帰国 42年後の真実 元日本兵が田畑焼き住民30人殺害300人傷害 見舞金三億円被害者家族に届かず
小野田さん帰国 42年後の真実
7月26日 20時20分
太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日本陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日本に帰国したときは、日本中が沸き立ちました。
小野田さんの帰国を巡って、日本とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者)
7月23日、日本とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日本人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。
当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジャングルに潜みました。その後、仲間を次々と失い1人で潜伏を続けていた小野田さんが祖国の土を踏んだのは、終戦から29年たった1974年のことでした。
埋もれていた極秘の外交文書
日本とフィリピンの戦後史を研究している広島市立大学の永井均教授は、小野田さんの帰国に関する日本政府の極秘文書を情報公開請求で初めて入手しました。670枚に及ぶ外交文書です。
NHKは今回、永井教授と共同で、見つかった外交文書の分析を行いました。文書には、小野田さんの帰国を巡り、日本とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが記されていました。
この中には次のような記載もありました。
「小野田氏ら元日本兵により30人が殺され、100人が傷つけられた」
「何らかの手を打たなければ、フィリピン側の世論も納得しない」
戦争の終結を知らない残留日本兵らが、地元の住民に深刻な被害を与えていたことが公文書で初めて確認されたのです。
永井教授は「文書からは小野田元少尉の救出問題が通常の残留日本兵の扱いをはるかに超える、政治的・外交的な重要案件だったことが分かる」と話しています。
“見舞い金”は3億円に
「かかる人的、物的損害に対し、日本政府は補償する動きがあるか」
交渉の中で、フィリピン側は、被害への補償の有無を打診していました。
日本政府は1956年のフィリピンとの協定で、戦後賠償は解決済みとの立場でした。しかし一方で、現地の被害者や遺族たちが声を挙げ、反日世論が高まることを懸念し「見舞金」を支払う検討を始めました。
「被害者らは、損害賠償請求権を行使するおそれがある。見舞金は、請求権行使を思い止まらせる効果をもつであろう」
日本政府は、見舞い金として3億円を拠出する方針を固めていきました。
当時、フィリピンとの交渉に関わり、のちに外務事務次官を務めた竹内行夫さんは両国の将来を見据えたという日本の見舞い金の提案に、フィリピン側も理解を示したといいます。そのうえで「いろんな被害というか損害を島民の方に与えていたという事実が判明しましたので、小野田少尉の救出に多大の協力をしてくれたフィリピンに対しては感謝をしたいという日本側の誠意としてやった」と述べました。
外交文書には、見舞い金の使いみちについても書かれていました。
「フィリピン政府は、被害者や遺族に対し現金で分配し、または、福祉に貢献するプロジェクトに支出することになるだろう」
資金を管理・運営するのは比日友好協会と記されていました。外交文書は、ここで終わっています。
3億円 実際の使途は
住民の被害への対応として検討が始まった3億円。実際にはどのように使われたのでしょうか。私たちは資金を管理するとされた、比日友好協会を訪ねました。
当時から協会の中心として活動し、現在は顧問を務めるベンジャミン・サンビクトーレスさんは資金は、小野田さんの帰国後に交付され、協会は日本語学校の運営や、日本への留学生の支援に充ててきたといいます。資金の使いみちについてフィリピン政府から明確な指示はなかったと言います。
「マルコス大統領は協会に金を与えれば、日本とフィリピンの関係が発展し、長年続くだろうと考えたのでしょう」と話していました。
潜伏していたルバング島では
日本側から支払われた3億円は、実際に被害に遭った住民のためには生かされなかったのでしょうか。それを確かめるため、私たちは小野田さんら残留日本兵が潜んでいたルバング島を訪ねました。
島の人々には、残留日本兵の記憶が今も刻まれていました。島民の男性は「私たちの家も田んぼも元日本兵に焼かれてしまいました恐ろしかったですよ」と話していました。
残留日本兵に家族を殺害されたという人にも取材することができました。クリスティーナ・デラクルスさんは29歳の時、夫のシプリアーノさんを失いました。夫は釣りをしていたとき突然、撃たれたといいます。クリスティーナさんは「ある人が私を訪ねてきて、夫が教会に運ばれたと知らされました。教会で夫と対面しました。そのときはもう亡くなっていました」と当時の状況を語ってくれました。
7人の子どもがいたクリスティーナさん。夫の死後、事務員をしながら、子どもたちを育てました。日本政府から支払われた3億円の存在は聞いたこともなく、「1人で子どもたちを養って、学校に通わせました。どんなに大変でも、じっと耐えるしかなかった。今も生活は大変です」と話していました。
ルバング島の元町長も私たちの取材に対し、3億円が住民や島のために使われた事実はないと答えました。
小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB殺しまくってたら
逃げまくってでてこないわな
攻撃してくる敵は途絶えてたはずなのに
気が付いてた、オリンピックをやっていることも知っていた
占領下で主権がないと思い込んでいた。
実際主権がなかったのは正しい考察。
本当は分かっていたけど
ほぼ100%戦争犯罪者として断罪されるから出てこなかったんだろうね
しかも情報工作員の将校だから、そこらの兵隊さんと違って国際法の知識もあっただろうし
他人の金の使い方にイチャモンつけるべきじゃないよ。
いろいろこの国は国民に隠してることがあるというイメージが捨てきれない
怒らないからみんな隠してること出してみなさいね
何故今になってこんな情報が出てくるのか。不思議だなあw
以前から言われていた周知の話
請求により外交文書が入手でき裏付けを得て改めて報道しただけ
死んだから出てくるんだよ
武士の情けだ
という要求で三億拠出したのに、1円も手に渡っていない島の世論を
どうやって黙らせたの?
裏を返せば3億円払う必要はなかったという証左にならないか?
結局「(転んでも)タダじゃ起きん」という強欲政治家マルコスの要求に
言いなりになってろくに人数なんかの事実確認もしなかったんでしょ。
山狩りされて逆に住人を殺してるのは小野田さんも認めてるっぽいし
戦争という殺し合いに参加しているつもりなんだから
フィリピンで激しい抗日運動があって、日本軍の激しい弾圧があった事は周知の事実やろ
これをウダウダ言ってるのは相当、出来の悪いバカウヨだけ
よくあることだな
戦争中は相手を憎むけど、戦争が終わったらより現実的になるとかで
今は日本と仲良くした方がいいと判断したら、そのまま仲良くするというけっこうドライな面がある。
70年以上前の話をずっと引きずる韓国人たちとは別に考えたほうがいい。
こんな奴らが日本兵にはごまんと存在し世界を相手に戦っていたこと考えると胸が熱くなるな。
戦記が好きでよく読んでいるがこのクラスの軍人は滅多に居ない印象。
個人的には海軍ドンガメ乗りの板倉艦長が一番印象に残った。
小野田は特務偵察出身で工作含めそこらの兵卒とは比較にならん素材だったみたいだからな。
頑固で気難しい人間と自分でも理解していて、他の人がやれないような事をする方が使命感も生まれヤル気になるタイプだったという話をインタビューでしてたな。
まあ、そういう特殊な人でないと一人きりで持ちこたえられんかったと思う。
小野田氏ほどの逸材、天才的な軍人はめったにいない
この人は根っから鍛えられた軍人なんで根性も肉体も違う
精神を極限まで集中すれば向こうから撃ってくる機銃の弾跡が見え、避けれたという人
日本有数の訓練校で戦闘技術からなにやら教育された人間だもんなぁ
敗戦は折り込み済みって話がスケールでかいんだよ
誇張でしょ。
機関銃も一発で命中するわけではない。
弾痕をいち早く発見して身を隠すということでしょ。
フォークランドの回想で弾丸がミシンで縫うように砂を弾いてきたという話があった。
瞬間的に身をかわせば生きられる。
何の情報分析も出来なかったバカだけどな
一応、それなりの教育を受けてる少尉だろう。部下もいて部下の命さえ守れなくて何の士官だよ
マジに恥ずかしい。日本人の面汚し
こんな怪物のような精神力胆力体力を持った天才は日本人1万人中に一人いるかどうか。
当人はそれを米兵はフィリピン兵だと誤認していた、みたいな言い訳がついてまわる印象だった
でも、それはウソっぽいという話
残置諜者の命令についても指揮系統的に疑問が呈される
小野田は住人から略奪するために殺して、一般住人が一般住人だとどうもわかっていたっぽくて、戦後はそこからの復讐を恐れて生きていた みたいな・・・
戦争が終わったのも明らかに知っていた
実際はそんな感じの収まりのつかなくなった山賊化した敗残兵
まあ実際アメリカ兵が死んでたら
アメリカは絶対に放置しなかったはずだからな
真相はそうだろ。
本来なら山賊として討伐されて当然だった。
実際、小野田と一緒にいたもと日本兵は
現地の軍(警察?)に射殺されている。
まあ結局はそういうオチだろうね
昔は30年間終戦を知らなかったなんて話がまかり通ってたけど
今では雑誌やラジオで終戦知ってたのが判明してるし、捜索隊が何回も接触してきてて人間社会から隔絶された環境でも何でもなかったという
当時この人をモデルにした小説や漫画見ると終戦を知らず戦いうづけた最後の皇軍として立派な人物として描かれてるものが多い
祖父祖母が満州にいた。
敗戦後の満州から日本への帰国路はカオス状態だったと聞いた。
祖父は山中アメリカ兵に見つかって、とある場所に連れてかれていよいよ殺されると思ったけど、自害しないように身ぐるみはがされ新しい衣服とチョコや食べ物煙草を貰ったと…色んな思いが倒錯して、自分が日本の地を踏んで良いものなのかと悩んだみたい
役人や軍人は入植日本人に知らせずに速攻逃げたんだよな
で逃げ遅れた人はロシアの餌食
フィリピン警察とも銃撃やったし何人も殺したって言ってる
当たり前だ
何しろ生き延びるために仲間と必死だったんだから
平和な今の時代から色眼鏡で当時を見て「不都合な真実」とか言ってる人間の頭の悪さには驚く
一番最初に起きるのは人の死に何も感じなくなるそうだよ。
漫画映画は死んだ同期になんとかみたいなことするが、あんなんないよ。
思考を放棄するしかない。
だから戦争がらみは何をしても個に問題を押し付ける気もないけどなぁ
この人の場合はその後、いろんな道具になったってのがあるからな
個人による。うちの爺様は完全にPTSDだったが戦友は正常。
3億円を被害者に渡さなかったのもフィリピン政府の判断。
NHKがギャーギャー言う事自体が間違っている。
それも知りたい
昔、テレビで大々的に何度も何度も放送されてた。見かけたとされる山に調査団を派遣したり、小野田さんに向けて声掛け放送もしていた。決して小野田さんを犯罪者の扱いとは、当時のマスコミはしていなかったよ
現地人にとっては殺人は犯す略奪はするで、タダの山賊にすぎない。
そのような現地の事情、数々の犯罪を隠蔽して報道しないという判断が
下されたからこその英雄視ということだろ。
隠蔽されてなかったし報道されてたよ、小野田さんに向けた非情な罵詈雑言も。みんながみんな英雄視してる訳じゃないし
自分は当時子供だったから、何で意固地になってるんだろう?としか思えなかった
わけわからん日本兵にいつかれて身内が殺されたりして
しかも見舞金もどっかで消えたという
ふざけた話
当時フィリピンで悪さした子供を叱る時「日本兵に連れて行かれるぞ」といってたらしい