
今宵、我々の前に現れたのは、現代社会を蝕む見えない病、そしてその診断を巡る激しい「仮病」論争という名の迷宮。一人の名もなきイッチが投じたこの一石が、やがて巨大な波紋を呼ぶことを、この時の彼はまだ知らなかった…。
この物語は、若者を取り巻く精神疾患の増加、特に「大人のADHD」に対する社会の捉え方、そして診断のあり方について、スレッドの猛者たちが繰り広げる言葉の宴である。さあ、諸君、心の準備はいいか?
第一章:増え続ける「出来ない」の理由
スマホのせいだな スマホ取り上げたら不登校も精神病も治る
≫14 種々の精神障害が増えすぎてピカイチ説とか柔軟剤、ワクチン、晩婚とか色々言われてる始末や
集中力続かないの、マジでスマホのせいだと思ってる。通知来るたびに思考が中断されるんよな。
これって「あるある」だよな?
スマホのせい?それとも…
「スマホのせい」という意見は、現代社会でよく耳にする。確かに情報過多やSNS疲れは無視できない問題だ。
しかし、主人公イッチは、そう単純な話ではないと反論する。柔軟剤、ワクチン、晩婚…様々な要因が複雑に絡み合い、精神障害の増加という現象を引き起こしているのではないか、と。これはまさに、現代社会が抱える問題の複雑さを象徴する一幕と言えるだろう。
第二章:発達障害・精神疾患診断の光と影
不登校になってる層は小さい頃に療育受けられなかった子らだろ
不登校になっとるんは小さい頃から発達障害の気が見え隠しとったのに ウチの子に限ってまさかありえないとか見て見ぬふりをした結果やろ 親がちゃんと子供の特性と向き合って療育とか通わせてたら違ったかもしれんのに
一般的な特性に安易に病名を付ければ、そうなるよな。
≫64 精神病やぞ 起立性調節障害とか色々あるからな
≫65 そうそう そのうち全ての癖やらなんやらに病名付けそうよな 一般的な特性に安易に病名を付けず、大まかに捉えていた方が平和だったのに
結局、診断されても「甘えんな」って言われるのがオチなんだよな。診断書の意味とは…?
病名付けて病気なんだから仕方ないって免罪符になる。で、その免罪符を求めて、安易な自己正当化に走る人が増える。そりゃ楽だよね。
そりゃ本気の精神疾患って人もいるし大変だとは思う ただ安易に病名付けてそれを容認するのは危ない世界だと思うよ 精神が正しいが異常なのかは多数決でしか無いから
「免罪符」となる診断?
このセクションでは、診断のあり方、そしてそれが社会に与える影響について、鋭い意見が交わされた。
- 「小さい頃の療育」の重要性を指摘する声。
- 「一般的な特性に安易に病名を付ける」ことへの警鐘。
- そして、病名が「病気だから仕方ない」という免罪符となり、自己正当化に走る人が増えるという痛烈な批判。
さらには、障害年金が「流行」になるというイッチのレスは、この問題の根深さを浮き彫りにする。精神疾患の診断は、個人の苦しみを理解し、適切な支援に繋げるための重要なプロセスであるはずだが、その運用によっては別の側面も生み出しうる。果たして、この議論の着地点はどこにあるのだろうか?
第三章:「大人のADHD」論争の核心
甘やかすのが悪い。発達上の特性があると分かったなら、それを補って生きていけばいいだけだ。努力しないのはただの怠慢だ。
病院行ったら秒でADHD診断されたわ。薬飲んでるけど効果は…?なんか「とりあえず診断しとこ」感あったんだよな。
≫1 大人のADHDとされる状態は、安易な自己正当化であるとの批判もある。手帳などの支援は再検討すべきだ。
本当ADHDと、うつ病だけ増えすぎよな。これらだけで合計1000万人おる。会社で遅刻します、ミスが多いです、ただこれだけでADHD、うつ病と診断されるケースについて、その診断の妥当性に疑問がある。
≫113 でも損害が出るレベルやねんから仕方ないやろ 居座られても困るしで
診断書あれば会社休めるって聞いて、ちょっと揺らいだのは内緒。でも診断されても仕事でミス減るわけじゃないしな…
≫114 大人のADHDは、安易な診断が多いとの意見もある。これらだけ多すぎる。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00369/100600002/ 大人の発達障害は、「注意欠如・多動症(ADHD*1)」と「自閉スペクトラム症(ASD*2)」が主要な疾患であるというお話を前回しました。 このうち、数としては圧倒的にADHDのほうが多いんです。いろいろな統計があるのですが、大人に占めるADHDの割合は低く見積もって2~3%、多いと4~5%という統計もあります。
5%だとすると、かなりの数ですよね。日本で500万人以上はいることになります。 ASDは人口の1%に満たないといわれています。子どもも大人もその割合は変わりません。 ASDの中で知的障害を伴わないケース、つまり高機能と呼ばれるケースはさまざまな研究がありますが、人口の0.1%から0.7%と報告されています。
≫116 いやぁ今の子供達は本当に多種多様な精神疾患があるけどな。現場にいたらわかる
子供の頃の「落ち着きがない」が大人になって「ADHD」って言われるの、なんか複雑な気持ちになるわ。昔は個性で済んでたのに。
日本社会が発達障害を産んでるんだよ。発達障害とされる人々は、外国行けば発達扱いなんてされないだろう。
参考人口 広島市 100万人 北九州市90万人 香港500万人 ADHDだけで香港に匹敵する数がいる。ASDやLDは60万人なのに、いくらなんでもおかしい。会社での能力不足を診断で正当化しているケースもあるのではないか。
会社で能力不足を診断で正当化し、安易な自己正当化に走る傾向がある人々がADHD診断を受けているという批判がある。このようなケースについては、手帳などの支援は再検討されるべきだ。統合失調症や自閉症はそうでもないのに、うつ病とADHDだけで合計1000万人いる。1000万人だぞ?500万と500万だ。
診断の「過剰」が招くもの
この章は、まさに「大人のADHDは仮病」論争の核心へと切り込んだ。
- 「努力しないのは怠慢」という厳しい意見。
- そして、ID:VOJQNIDo0による「大人のADHD診断が過剰」であるという主張は、具体的なデータと記事へのリンクを伴い、スレッドに重くのしかかる。
「安易な自己正当化」という言葉が何度も繰り返され、診断の妥当性、そして手帳などの支援のあり方まで再検討すべきという強硬な意見が飛び出した。しかし、現場からは「多種多様な精神疾患がある」という声も上がり、さらには「日本社会が発達障害を産んでいる」という社会構造への批判も。この複雑な問題に、果たして我々はどのような答えを見出すべきなのだろうか?
今回のスレッドは、現代社会における精神疾患、特にADHDの診断を巡る複雑な感情と現実を浮き彫りにしました。若者の「不登校・発達障害・精神病」の増加は、単一の原因で片付けられるものではなく、スマホの影響、療育の不足、社会構造の歪み、そして診断のあり方自体への疑問など、多岐にわたる側面から議論されています。特に「大人のADHD」に対する「仮病」論争は、診断が個人の免罪符となり、安易な自己正当化に繋がる可能性を指摘しつつも、一方で真に困っている人々への支援の必要性を同時に示唆しています。結論として、これは社会全体で精神の健康と診断の公正性について深く再考すべき時期に来ていると言えるでしょう。
※本記事は掲示板の投稿をまとめたものであり、その内容は個人の意見に基づいています。