今回は、遠く離れた薩摩藩が江戸までおよそ60日かけて行われた参勤交代を巡るスレッドを覗いてみましょう。その過酷な道のりと、制度の背景にある歴史的意義に迫ります。
前提知識・背景
江戸時代、諸大名に課せられた「参勤交代」は、将軍への忠誠と軍役奉仕を示す重要な制度でした。特に九州の薩摩藩は、地理的に最も遠く、片道約60日という長大な行程を要しました。この制度は藩の財政に大きな負担をかけ、道中の苦労も絶えなかったとされます。本スレッドでは、この薩摩藩の参勤交代の過酷さや制度の目的、そしてそれにまつわる様々な雑学が議論されています。
想像を絶する長旅
どうすんのこれ…
面倒くさいし妻子もおるから江戸にずっと住みたいわとか思ってた藩主も居そう
スレ主の素朴な疑問から始まった議論。片道60日という途方もない数字に、現代を生きる我々も思わず頭を抱えてしまいます。当時の道のりは、まさに想像を絶する過酷さだったことでしょう。
馬車の謎、そして差別的な発言
平安時代には牛車があったわけだし車輪が作れなかったわけじゃなかろう
別に馬に引かせなくても人足が引いてもええやん?
平坦な地形が少なすぎる
軍事的理由でそもそも徳川が車輪そのものを厳しく規制した
今の時代に馬車にどうやってブレーキかけるかすら理解してない絶望的な知障ガイジってすごいな
少しの坂道でも高確率で事故るから「馬車道」なんて整えたのにはよ首括って来世に賭けた方がええで、今生じゃ健常な脳にはなれないよお前
健常な脳になれないってマジで頭の悪さ滲み出てるレスやな
深夜に素でこんなレス出来るのは才能やで
何かコンプレックスでもあるん?
今どき部落差別するようなガイジやし無視した方がええで
いやー絶望的に頭の悪いボンクラってゴキブリと同じレベルでまともな人間は万国共通で嫌悪してるよ
そんなことも理解してないって頭病気だぞお前
開示請求しますね
馬車が普及しなかったという疑問から、議論は思わぬ方向へ。地形や幕府の規制など、興味深い考察が交わされる一方で、残念ながら一部のレスには差別的な言葉遣いが見受けられました。歴史を語る場において、こうした発言は断じて許されるものではありません。
船旅はあり得たのか?
日本に船が伝わったのは黒船が1番最初やぞ義務教育受けとんのかホンマに
穢多非人レベルのバカが湧いてくるのが凄いなー釣りとしてもおもんなさすぎるし真性なんだろうけどもどっちにしてもお前IQ1ないよな?笑
えたひにんを頭の良し悪しで使ってる馬鹿初めて見たわ
「船で行けば良い」というシンプルな提案には、即座に歴史的な反論が。しかし、ここでも特定のユーザーによる不適切な発言が繰り返され、議論の質が損なわれています。歴史的事実に基づく冷静な意見交換が望まれます。
参勤交代の真の目的とは?
疲弊させるためならもっと強烈にしとるのなんてまともな頭してたら知障でもわかるだろうに「格」に合わせてわざわざ人数やらの指定まであるのに知恵遅れや部落のボンクラでも言うバカおらんで
それ最近の教科書ではもう書いてない説なんじゃなかったっけ
参勤交代の目的が「大名疲弊策」だったのか、それとも別の意図があったのか。学説の変化にも言及され、歴史解釈の奥深さを感じさせます。しかし、またしても差別用語による攻撃的な発言が議論を阻害しています。
馬車不普及の再考と、識者降臨?
ただ道路が整備されてるところしか使えないから峠は越えられん
同時期のヨーロッパでは馬車がガンガン走ったと思ってるの、お前みたいな穢多だけやで
歴史上「広大な平地のアメリカ」以外でまともに馬車なんて使われてるとこ殆どない(ほぼ庶民は不可)けどド田舎の中卒だよなお前?
院卒(少年院)か?笑
まともな人間なら誰でも知ってる当たり前の常識しか書いてないのに詳しいってもうねお前やここのボンクラとはIQ100くらい違うし少なくともお前の100億万倍は物知りだわ
この時代の大名マヌケばかりやん
あー、当時の脳障害より酷いな
小学校、出てる?笑
馬車の歴史を巡る深い知識が披露される中、再び例のユーザーの過剰な反応が目立ちます。歴史の解釈は多岐にわたりますが、感情的な罵倒や差別用語の使用は、建設的な対話を妨げるだけです。
【深堀り】参勤交代と日本の交通史
60日移動のリアルな実態: 薩摩藩の江戸までの道のりはおよそ1700km、片道60日という途方もない距離でした。1日の移動距離は約28〜30kmと推測され、藩主は駕籠、家臣は徒歩や馬で移動しました。特に駕籠は乗り物酔いがひどく、その苦労は現代の想像を超えるものだったでしょう。
「大名疲弊策」は過去の学説?: 参勤交代の主目的が「大名疲弊策」であったという説は、近年では古典学説として退けられています。最新の歴史学説では、将軍への服従儀礼、幕藩体制の維持、そして大名の正室と世継ぎを江戸に置く人質政策が主な目的であったとされています。財政負担は結果として生じましたが、それが主目的ではなかったという見解が有力です。
馬車が普及しなかった理由: 日本で馬車が広まらなかった背景には、地形の問題(山がちで平坦な道が少ない)だけでなく、馬の調教、車輪が道を傷めること、そして江戸時代における移動手段の管理・統制が挙げられます。徳川幕府による車輪製造の明確な規制は見当たらないものの、馬や車の使用が管理されていたことは確かです。
スレッド内の差別用語について: スレッド内で度々見られた「部落」「穢多非人」といった言葉は、歴史的背景を持つ賤称であり、現代においては深刻な差別用語として認識されています。これらの言葉を相手を侮辱する目的で使用することは、人権侵害であり、断固として非難されるべきヘイトスピーチです。歴史的議論の場において、このような言葉の使用は決して許されるべきではありません。
知的好奇心
薩摩藩の「裏金」が倒幕を支えた真実
薩摩藩が幕末の倒幕運動を支えることができたのは、その強大な財政力にありました。これは、幕府公認の琉球貿易に加え、「抜け荷」と呼ばれる中国との密貿易によって得られた莫大な利益が源泉だったとされています。昆布や唐薬種などを長崎を経由せずに売りさばき、藩の財政を潤したのです。この独自の経済基盤が、薩摩藩を日本の歴史の転換点に押し上げる大きな要因となりました。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の経済効果
東海道最大の難所として知られた大井川は、戦略上の理由から橋や渡し舟が禁じられ、旅人は川越人足に頼るしかありませんでした。水深に応じて料金が定められ、川留めになれば旅人は足止めされ、その間の宿泊費もかさみました。これは旅人にとっては大きな負担でしたが、逆に川越人足や宿場町にとっては莫大な経済効果をもたらしたのです。
関連リンク
- 参勤交代ってどんな仕組みだったの?なぜ江戸幕府は義務付けたの?|MAPPLEトラベルガイド
- 大名行列とは | 歴史と行列について
- 参勤交代の期間はどのくらい?ルートや費用も解説
- 参勤交代が「大名疲弊策」ってホント?徳川幕府のねらいを解説|Lossゼロ.jp
- 参勤交代 – Wikipedia
- 江戸時代の道路や交通事情を知る|首都高で行こう!
- 「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」…大井川を越すのに必要な費用とは?―中国メディア|エキサイトニュース
- 琉球貿易から近代化への道筋 ─ 磯での物語「薩摩藩と異文化交流」
- 日本の馬車交通の歴史に関する一考察
- 大井川川越遺跡・川越博物館|島田市
- 部落問題 – Wikipedia
- 部落解放・人権研究所
※本記事は掲示板の投稿をまとめたものであり、その内容は個人の意見に基づいています。

