大阪・ミナミの通り魔事件で殺害された男性の妻も、一審の死刑判決を破棄した大阪高裁の判断に疑問を感じている。
東京都に住んでいた南野信吾さん=当時(42)=は音楽プロデューサーの仕事で大阪に出張中、事件に巻き込まれた。幼い3人の子どもと駆け付けた妻有希さん(49)は遺体と対面しても、「現実味がなかった」という。
事件後、仕事と子育てに追われる日々を送っていたが、検事から「夫がどういう人か伝えられるのは奥さんだけ」と説得され、証言を決意。地裁の法廷で、初めて被告(43)を見た。「なぜこんな人に」。悔しさしかなかった。
一審は求刑通りの死刑判決。「2人の命を奪ったのだから、死をもって償うのが当然。本当にうれしかった」と有希さん。だが、1年8カ月後の控訴審判決は裁判員の判断を覆した。「計画性のない通り魔なら、2人まで殺してもいいのか。もう1人被害者がいればよかったのか」。朗読される理由に体が震えた。
「裁判員の方は、見たくないものを見て、聞きたくないものを聞き、悩んで悩んで、結論を出してくれたのに」。有希さんは、過去の判例を言い募るのなら、裁判員制度なんてやめればいいとさえ思っている。 [/bq]
この部分も多少は含めているだろうな
全部じゃね?裁判員に1票ずつ権利あげてメインに100票渡してんたし
全部ウソ、そんなレベル
アメリカだと有罪無罪は陪審員が決めて量刑はプロの裁判官が決めてるな
いちがいに判例踏襲を責められない
刑期の裁量は、長い経験がなけりゃ無理
二審は量刑についての妥当性を問うって
そういう新制度だと思えばいいんじゃね
一番手っ取り早くAI化して人員削減できそうだよな。裁判所に勤務する奴ら。
通り魔で無差別に2人殺して死刑判決が出ないとか、この高裁、頭おかしいんじゃねーか?
てか、こんな事件あったけか・・?
>>1
確かアニメ版シュタインズゲートのOP曲作った人だったな
[bq title=”南野信吾 – Wikipedia” url=”https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%87%8E%E4%BF%A1%E5%90%BE”]2012年(平成24年)6月10日、大阪心斎橋通り魔殺人事件に巻き込まれて急逝。享年42[3]。当日は心斎橋のライブハウス「ミューズホール」で同夜に行われたレーベル発足5周年記念ライブを訪れるため、来阪していた。
2013年(平成25年)6月10日、上記の事件の風化を防ぐべく、南野と親交の深かったバンド14組が出演しての追悼ライブ「すべては彼のために」が開催された[5]。 この追悼ライブは毎年行われ(2017年よりMINAMINO ROCK FESTIVALに名称を変更)、経費を除く売上は南野の遺族へ支援金として送られている。 [/bq]
裁判官にも死刑反対の人いるらしいからな。
そういうのに当たると死刑回避されてしまう。
法務大臣だってそうだしな。
死刑反対の人が法務大臣の内示を受けると
死刑の署名を任期中はしないのが多い。
仕事しないなら法務大臣のポストを受けるなって思うけどね。
法の運用側が個人の感情に左右されるならシナチ○○と変わらんわ
なので、基本的には「過去の判例>裁判官の判決>裁判員の判決」となる。
裁判員裁判は世の中の流れだから出来ただけで裁判官からすれば迷惑な制度。
裁判官いらないじゃん
裁判官不要でしょ
まさにコレかも。
合理性に対して過去の事例が同程度かそれ以上のウエイトを占めるとすれば、人間がやる仕事じゃないよな。
実際のところどうなの?
でも被害者の気持ちを反映してないとか批判されるから裁判員制度やってみただけ
裁判員には決定権なんてなにも無いしただのポーズだよ、期待すんな
二人で死刑確定でいいんだよ
むしろ逆に、相場以上で控訴されるのばっかりだったな
んで上級審で相場通りになるもんだから、まったく意味がなかった
裁判員制度を続けるなら、裁判員の意思を尊重しろよ
裁判員にしたのに
凶悪犯罪者を野に放つのが裁判官の仕事になっちゃってるよ
裁判官の一致がないと意味がないようにしたんだけど
裁判官そのものの判断基準も曖昧だからどうあがいてもまともな判決にはならないよ
法務省「ほなら陪審員集めようか、素人なら叩かれないしな」
陪審員「死刑にすべき」
判事「さすがにめちゃくちゃやな、判例使うわ」
陪審員「うちら要らんのちゃう?」
判事「まあ座っとれや^^」
最高裁で裁判員裁判やれ
上司や同僚からの批判が怖いのだろう
一般国民「死刑」
人権屋「」
これが現実
どうせ覆るなら意味ねえからさっさと廃止して本職だけでやってろや死ねよ
何の儀式だよばーか
裁くための必要要員ではないからな
トラウマを負いつつ頑張って出した判決を
簡単にひっくり返す、上級法曹界。
グロい写真とかを見ないという拒否権は無いみたいね。
「裁判官の感覚が一般の国民の感覚とずれているから~」というのが導入の理由だったが、村瀬裁判官によると「裁判員の感覚は判例とずれているから修正するのが裁判官の仕事」とか言い出す始末
三審制が二審制になっただけ