なあ、みんな。学校って、本当に「行くべき場所」だったんだろうか? 今回我々が深淵を覗き見るのは、そんな根本的な問いを投げかけるスレッドだ。テーマは「不登校」と「苦登校」。特に後者は、学校に行きたくないのに無理して通い続ける状態を指す、なんとも耳の痛い言葉だ。専門家も、この「苦登校」が長引くと本人に与えるダメージは計り知れず、最悪の場合、自死に至る可能性もあると指摘しているぞ。
「学校に行きたくない」という気持ちは決して「甘え」ではなく、心や体からのSOSサインだと多くの専門家や支援団体は認識している。しかし、現実には多くの「苦登校」経験者が、その苦しみの中で人知れず傷を負っている。さて、このスレッドの主人公、イッチは一体何を語り、この深淵な問いにどんな答えが導き出されるのか。早速、覗いていこうか。
「苦登校」という名の深淵:イッチの提言
不登校は経験不足だけど楽観的な引きこもりが多そうだけど苦登校は経験積んでドロドロした引きこもりが多そう
不登校→嫌な学校から避難出来て時間は趣味に有意義に使えて親への感謝と社会復帰の意欲有り
苦登校→朝から夕方まで分からない授業で時間を浪費し人間関係のトラブルによるストレスとトラウマを抱えて親への恨みと社会への嫌気により脛かじりの意欲有り
学校行ってたのにニートになる方が問題だと思うけどな
嫌々学校行ってるチー牛より2、3年学校行かなかった一般人のほうがやっぱり上やよな
性格良かったし何事にも意欲的だった
でも俺はほぼ皆勤だったのに結構嫌われてたよ
卒アルも真っ白
俺が考えたワードじゃないぞ
前にスレで見かけた
おまえ正直だな
バカにしてるんだとしたら「不登校になりたかったけど親が許してくれなかった人」のレスだとよく意識しておけ
あー違う違う
ワイが思いついたとか言うタイプじゃないんやなって
ごめん
苦登校には結構真剣に考えてるから過去の苦登校スレ経由でも認知してる人を増やしたくてね
イッチの主張、「不登校より苦登校の方が予後が悪い」は、実に重い問いかけだ。彼曰く、不登校は「嫌な学校から避難して有意義な時間を使える」のに対し、苦登校は「分からない授業で時間を浪費し、人間関係のトラブルでトラウマを抱える」という。この具体的な対比は、多くの「苦登校」経験者の心に響くものがあるだろう。実際に、中学校で不登校を経験した生徒の約8割が20歳時点で就学または就労しているというデータもある。不登校が必ずしも引きこもりやニートに直結するわけではない、というのは驚くべき事実だ。むしろ、心身の健康を保つための「避難」と捉えることもできるのかもしれない。
そして、イッチの「苦登校」という言葉への真剣な思いも伝わってくる。この言葉は彼にとって、自身の経験を語る上で不可欠な概念なのだろう。
社会の洗礼か、無駄な苦痛か? 根性論と現実の狭間
悪いけど保健室登校した事無いから分からない
悪いけどこのスレ立てた人は「不登校になりたかったけど親が許してくれなかったおじさん」だから今でもどうすれば許可得られてたか分からないんだよ…とりあえずこのスレ見せてみるとか?
だろ?
不登校の予後は完全な精神だけど苦登校の予後は過去の鬱憤をネットに言う人間だからな
前者の方が人に好かれるしそこからなんだかんだできっと上手くいくと思うし後者はこのスレの通りだ
その通りやな
ワイも苦登校の結果人格が歪んだわ
誤字:完全な精神→健全な精神
大日本帝国軍人みたいな根性論やな
さてはおまえ昭和やろ
ようわかったな
辛く苦しい学校生活ごとき耐えられないやつはどうせ何やってもダメ
そんくらいの気持ちでいるべきや
年金暮らしのジジイはよ死ね
そうなるのが大事なら学校じゃなくても良くね?
結局お前が生まれつき苦痛と感じる基準高かったから「苦痛」が何か分からないだけだろ
苦登校させようとしてる奴って反日増やして日本を滅ぼしたいんちゃうかな
ワイも不登校できてたら日本人に対して歪んだ感情なんて湧くことも無かったと思うで
その苦痛を味わった結果が俺なんだが?
俺って立派なの?俺って偉いの?俺って好かれるの?社会の模範なの?企業が欲しがる人材なの?女性は俺を恋愛や結婚対象として見るの?
苦登校経験者のワイから言わせてもらえば
社会に出て分かったことは日本人の本質は学生の頃から何も変わらないクソだったってのが分かったぞ
君は残念だったが
学校教育という残酷な選別を多数の人間にさせたほうが
辛いことから回避だけする逃げ癖人間より
圧倒的に予後が良いことは間違いない
人間は社会的な生き物やからね
もしかしてさっきから大日本帝国軍人の口調みたいだけど何かの漫画の丸コピペしてんのか?
なおその根性論で大日本帝国は滅んだけどな
ごく一般的な考え方と思うけど
大日本帝国とか大仰なきめつけしかできんあたり
社会生活の浅さを露呈しており
やはり社会勉強してないとダメやなって感じる
おまえの頭の中の妄想で決めつけんな
無能丸出しやな
世の中はお前のことをいちいち心配して面倒見てくれないし
自分で踏ん張る瞬間がなければただ落ちていくだけ
救済措置があって当然と思うその図々しさの根源は何や?
誰が救済措置とか提案してんの?またおまえの頭の中の妄想?統合失調症の薬飲めよ
不登校のほうが苦登校より予後がいいってのは君の妄想やな
現実は通信制高校はクズ量産機構になっている
ワイの経験談しかレスしとらんやん
また妄想かいい加減にしろよ糖質
そいつ平日昼間から末尾0パソコンで5ちゃんに張り付いてる無職や
http://hissi.org/read.php/livegalileo/20251030/NEU1SDkvVEMw.html
あっ
何があっやねんガイジ
おまえの頭の中やと休日って土日祝しかないんやろな
メーカーなのに?
おまえがメーカーつって想像してる部門なんとなく分かるが特定される恐れがあるしどうでもええわ
土日勤務のメーカーねえ。ライン工かな
「学校での苦痛も社会勉強」という根性論者が現れ、スレッドは一気に白熱。しかし、イッチは「その苦痛を味わった結果が俺なんだが?」と痛烈な反論を繰り出す。この問いは、多くの苦登校経験者の心に響くはずだ。苦痛を耐え忍んだ先に、本当に「立派な自分」が待っているのか?
「通信制高校はクズ量産機構」という発言もあったが、これは誤解だ。通信制高校は、多様な学びの選択肢の一つとして、不登校生徒の学習機会を保障し、個々のペースに合わせた教育を提供している。実際、不登校を経験した子どもたちにとって、通信制高校は、学業の遅れを取り戻し、自信を回復するための重要な場所となり得るのだ。
そして、平日昼間から掲示板に張り付いている人物のIDが晒されるという、ネットスレッドならではの展開も。これはもはや議論というより、泥沼のレスバトルの様相を呈してきたな。この「苦登校」というテーマの持つ、ある種のタブー性や、個人の経験に深く根差した感情が、この激しいやり取りを生み出しているのかもしれない。
「弱者男性」への道? 苦登校がもたらすリアルな影響
悩んでたんやろうな
俺も一時的に酒にハマった
下戸過ぎて体調も意識も酒どころじゃ無くなるからアル中にはならなかったが
不登校なんかなったらニート一直線
ワイ不登校なったことないけど今B型作業所やぞ
働けてるだけマシやろ
不登校になってたら今より良い結果になってたと思う?
思う
その学校に行って時間の浪費とストレスとトラウマしか得られなくてニートになったからそれらが無い不登校の方がマシって話をしてんだろうが
そりゃ結果論やろ
苦登校と不登校のニート化率でいうと苦の方が圧倒的にマシなはずや知らんけど
>知らんけど
おまえの頭の中の妄想やん
よくそんな堂々と妄想を現実かのように語れるな
知能に何らかの障害あるでおまえ
何で苦の方がマシだと思うの?
何回も言ってるけど苦登校は「不登校なら回避出来た悪い経験を回避出来なかったルート」であり「時間は趣味ではなく分からない授業と通学に浪費したルート」
それらを苦登校の方がマシと言える理由は何?
悪い経験が何を想定してるんか知らんが犯罪でもない限りは経験しとくに越したことないぞ
どうせ大人になったら色々苦難が待ってるわけやから、10代の時点で潰れてるようじゃ碌な大人にならんで
経験した結果潰れて碌な大人になれなかった事への反論に『潰れてるようじゃ』かよ
結局潰れない不登校の方がマシじゃん
いや不登校になった時点で潰れとるやろ
潰れも軽重あるだろ
傷が浅く社会復帰に意欲的な不登校と傷が深く社会復帰したがらない苦登校のどっちがマシかまだ分からないの?
またジジイの頭の中の話かよボケたんか
不登校っつうけどストレスでダメージ受けたら何らかの治療せなあかんからね
治療もせずに苦登校しとけってこれ
骨折しても根性で仕事を続けろって言うのと同じやからね
苦登校の結果ニートになったし
ニートでメンタル回復させる期間の方が長かったんで
おまえの妄想はおまえの頭の中だけでしまっとけ
美容師とか調理師とか
それ苦登校でも不登校でも選択出来る事じゃん
部活やらない、人付き合いを避ける
で、その結果辛いとか言ってるの意味が分からん
ワイは部活と部活の人間付き合いがクソ辛かったけど部活も人付き合いもやってないのに辛いやつって何が辛いんや
部活は勉強と課題の時間を奪って授業への疲労にしかならなかったし、人付き合いは距離置かれるばかり
孤立したくなかったのに孤立したよ
面倒で休んでなかったらそれらが得られてなかった気がするけどな
苦登校の経験者からは、いじめや自殺願望、アルコール依存といった生々しい声が上がる。これは、苦痛を耐え忍んだ先に待っているものが、必ずしもポジティブな結果ではないという現実を突きつける。一方で、「不登校なんかなったらニート一直線」という意見も。しかし、先述の通り、不登校が必ずしもネガティブな結果に繋がるわけではない。むしろ、不登校期間中の過ごし方や適切な支援の有無が、その後の人生に大きく影響すると考えられている。
「悪い経験も経験しとくに越したことない」という意見もあるが、それが心身を深く傷つけるものであれば、その価値は再考されるべきだろう。骨折しても根性で仕事を続けろと言うのと同じ、というリアリストのツッコミは的を射ている。
集団生活の真実:学校は「社会の縮図」なのか?
社会は比べるのもおこがましいぐらい過酷やぞ
その過酷を乗り越える要が苦登校って本気で言ってる?
学校に辛い気持ちで足運んでも就職出来るスキルは身に付かないだろ
家にいたら身につくのかい?
勉強するかどうかじゃね?
自分に合った本で自分のペースで学べるからね
移動せず好きな姿勢で
社会性はどこで身に付けるんや
お勉強なんかクソほどどうでもいいから集団生活での生き方を身に着けろ
なんで就職できるスキルやねんw
誰もがそのうち自分で金を稼いで生きていかなければならない
金を稼ぐにはほとんどの人は就職して、集団の中で生活しなければならないだから
「衣食住は親がやってくれる」
「困りごとは親や先生が尻拭いしてくれる」
「聞けば何でも教えてもらえる、訓練してもらえる」
という補助輪付きチュートリアルで徐々に世の中に慣れていきましょうって訓練期間が義務教育や
学校の対人関係なんか、就職後のバチバチの対人関係に比べたらままごとや
その学校行っても身に付かなかったから言ってんだよ
それは環境のせいじゃなく集団に溶け込もうとしなかったきみ自身のせいや
学校が悪いわけではない
職場で必要以上のコミュニケーションなんてとる奴いねえよ
おまえの職場が昭和過ぎるんだよ知らなきゃ検索してみろ
本当に無能だな仕事できなさそう
無能は苦登校でニートになったおまえやん w
おまえの年収は?
扶養や住宅ローン補助こみこみで730万ぐらいやちなプライム上場メーカー
ワイメーカー勤務主任こみこみで700万くらいやがな
そんな変わらんのやな
スタートおまえの方が早いならやっぱおまえ無能やん
おまえの19レス見ると弱男おじ丸出しやから嘘ついてまで無理せんでええよ
もういい時間だから寝るとええで明日から現実見てニート脱却頑張りや
糖質レッテル貼って逃げようとしてて草
なんや丸出しって
ああ無能丸出しって言われて効いちゃったのか草
でもきみ平日昼間から末尾0パソコンで5ちゃんに張り付いてる無職じゃん
http://hissi.org/read.php/livegalileo/20251030/NEU1SDkvVEMw.htmlメーカー勤務主任こみこみ700万になれたらええな w
今は平日にも休みのある仕事が世の中にあるんやで昭和から働いてないんやろおまえ
メーカー勤務主任の設定と矛盾しとるやん草
そこらに沸いてるゴミみてえなコテのほうがまだ設定貫き通してるで
おまえの知ってる狭い知識だけで語るなよゴミ
集団に溶け込もうとしても溶け込まなかったら不登校の方がマシじゃねって話だろ
おまえが無能やからそうなんやろ
社会に出て必要以上のコミュニケーションなんてねえ分学校より百倍はマシ
それはお前がつまらない奴で職場に溶け込めなかっただけやん
教職員が楽したいだけのただの方便や
嫌なら逃げていいんだよーそれも個性だよーで受け入れてくれる場所なんか世の中にはないんや
面倒事を少しでも減らしたい教職員が、手間かかるよりは3年間引きこもっててくれってだけの話や
どっちかというと「逃げてもいいんだよ」をしてるのは親やろ
って事は
不登校→教職員が楽する
苦登校→教職員が苦労する結局不登校の方がマシじゃん
同世代とのコミュニケーションから逃げてきた人間は人生終わる
勉強なんか正味どうでもええんよな
集団生活の送り方
自分の個性や立ち位置
他人との丁度よい距離感(人のタイプによって変わる)
多数派の感覚(常識と言う)
こういうのを慣らしていく訓練期間や
勉強なんかできてもできなくてもよい
それ相応の職に行けばよいだけだが集団生活はどこで何をしても絶対に必要
それ学校じゃなきゃダメか?
むしろ学校は無駄話厳禁で会話は事務的だから逆効果だろ
>無駄話厳禁で会話は事務的だから逆効果だろ
どんな学校通ってたんだよ
学校行ってたけどコミュ力無いぞ
「社会は過酷」「集団生活を身につけろ」という意見は、ある意味で正論かもしれない。しかし、学校がその訓練の場として機能しない、あるいはむしろ逆効果になる場合もある、というイッチの主張もまた、無視できない現実だ。社会経験者は「学校の対人関係なんか、就職後のバチバチの対人関係に比べたらままごと」とまで言い放つが、その「ままごと」すらも苦痛だった者からすれば、まさに地獄である。
このセクションでは、年収マウント合戦に発展したり、平日昼間の掲示板書き込みを指摘されたり、と議論が完全にヒートアップ。もはや「苦登校」の是非を超え、個人のプライドや価値観が激しく衝突している。
後悔とトラウマ、そして救済の不在
中高で苦労した分大学や社会人になってからモテるようになるとかご褒美あれば良いのにそれすらないもんな
むしろメンタル追い込まれて自信もなくして人と関われなくなり弱者男性になるルートすらあり得る
不登校になったら弱男確定だけど苦登校耐え抜いたら普通の人生送れる可能性だって十分あるんだからいいだろ
その苦登校耐え抜いた俺が後悔とトラウマだけの無職だから苦登校より不登校の方がマシって何度も言ってんだろうが
モテるやつの格好や仕草や話術をパクって新しい環境でマネすればええだけやん
勝手にモテるようになるんじゃなくモテようとする努力をしましたか?
まさかそれすらもママから与えられるものだと思ってるのか?
その努力する意思って学校行っても身に付かないと思うんだよな
努力する意思って余裕あってこそ出てくるものだろうし
そうそうそう!!!同志よ!!!
俺が伝えたいけど上手く言語化出来なかった事の一つを言語化してくれてありがとう!!!
その状態で苦登校か不登校なら不登校の方がマシじゃねって話をしてる
いや君の勝手にしなよ
楽登校したのに不登校より苦登校がマシだと言い切れるレスすら思いつかないのかよ
オレの家のかーちゃんは血を吐いてでも学校は行けっていう教育方針だったよ
中2の成長期にイジメが原因のストレスで声帯が異常おこして声が変になって今も戻らない言語野にも障害が残った
親に従ってクソみたいな人生だけど結局は自己責任だからな
苦登校よりは絶対不登校のほうがいい
俺は頭悪すぎて自分に今でも戻らない異変があるかどうかは分からないけどとにかくマイナスしか無い苦登校より不登校の方がマシと思う人がいるのは嬉しい
まともな会社に就職したこともない無職かフリーターってとこやろうな
おまえの想像してるメーカー勤務の部門がアレなんやろ
本当に決めつけしか出来んとか無能すぎるやろ立案した所で余計に現場混乱させるやろなおまえみたいな無能がいたら
ワイの年収730は昨年の源泉まんまの真実やのに
平日昼間からパソコンで5ちゃんしてる嘘まみれの無職が妄想で勝てると思ってたのだろうか
「苦登校」ならぬ「苦5ちゃん」やな。「不5ちゃん」にしたほうがええんやないか w
おまえの頭の中ならそう見えるんやろな
糖質
君のことだと言ってないけどw
ワイもそれワイのことやと書いてるか?
そうレス返してくるのは読めてたんやで
反応している時点でねえw
苦登校させようとする奴いたぐらいだし
学校行ってもこの通り
そらそうよ
なぜ苦登校させようとするか考えたら
苦登校させようとする奴らが何を企んでるか分かるで騙されたらあかんぞ
学生時代から逃げてたら人生終わるでな
『勉強嫌でも』
いや勉強嫌な時点で学校行く意味無いだろ
苦痛な事だって中傷だの授業だの不自由さだのあるし
友達に会いにいく為に学校行ってたと話せば就職出来る場所がこの世界に存在してるでも言うのか?
自分の人生の失敗は自分の責任なのにその目を逸らし学校に押し付けてるだけ
その押し付ける隙が無くなるなら不登校の方がマシじゃない?
主体性だって不登校の方が身につくだろうし
結局全て自分の責任になるなら不登校という要望を親や大人が潰して苦登校させるのは尚更問題じゃないのか?
「若い時の苦労は買ってでもせよ」という諺があるが、「苦登校」に限っては何のプラスにもならないという同情者のレスは、多くの共感を呼ぶだろう。むしろメンタルを追い込み、自信を失い、人と関われなくなる「弱者男性」ルートすらあり得るという指摘は、現代社会の闇を映し出している。
そして、身体的被害を訴えるレスは、苦登校の最も深刻な側面を浮き彫りにする。いじめが原因で声帯に異常をきたし、今も戻らないという壮絶な経験は、単なる精神的な苦痛を超えた、取り返しのつかないダメージが存在することを示している。親に従った結果が「クソみたいな人生」という言葉は、救済の不在を強く訴えかけてくる。
最終的に、イッチは「不登校になりたかったけど親が許してくれなくて苦登校した人」であることを明かし、このスレッド自体が「苦登校の末路」を証明していると結ぶ。この重い結末は、私たちに多くの問いを残す。
まとめ編集長の編集後記
さて、今回の「苦登校」を巡るスレッド鑑賞会はここまで。明確な答えは出なかったが、それもまた一興だろう。画一的な教育システムが主流の日本では、「不登校」という言葉自体にネガティブなイメージがつきまといがちだ。しかし、欧米諸国では「不登校」という概念自体が存在しない国もあり、多様な学びの選択肢が提供されている。日本においても、フリースクールや通信制高校といった学校以外の学びの場の認知度を高め、子ども一人ひとりの状況に応じた柔軟な対応が、子どもたちの心身の健康と健全な成長のために不可欠である。
「学校」という場所が全てではない。時には逃げることも、立ち止まることも、自分を守るための賢い選択なのだ。最終的な判断は、読者である君に委ねよう。また次の深淵で会おう。
