
かつて日本の首相を務めた鳩山由紀夫氏が、X(旧Twitter)上で投げかけた一石が波紋を広げています。官邸幹部の「核保有」発言を巡るオフレコ報道の是非に対し、「クーデターもオフレコか」という極論でメディアの報道を擁護する立場を示した鳩山氏。この問題提起は、ジャーナリズムにおける「オフレコ」の倫理と、公共の利益という重大なテーマを我々に突きつけます。
前提知識・背景
「オフレコ」とは、取材対象者と記者との間で、その内容を公にしないという合意のもとに行われる非公式な情報交換を指します。日本では政治家や官僚が公には語れない本音や背景事情を記者に伝え、より深く理解を促すために用いられてきました。しかし、その運用は常に曖昧さを伴い、時に国民の「知る権利」との間で倫理的なジレンマを生じさせます。近年、高市政権に近い官邸幹部が「日本は核を保有すべき」という趣旨の発言をオフレコの場で報じられたことを巡り、メディアの報道姿勢の是非が大きな議論となっています。
鳩山氏の問題提起、その是非
鳩山由紀夫元首相が23日、自身のX(旧ツイッター)を更新。高市政権の官邸幹部が報道陣との「非公式な意見交換の場」(オフレコ)で「日本は核を持つべき」といった趣旨の発言をしたとして複数の媒体で報じられたことに対し、メディア側への批判が高まっていることを受け、「それは違う」として私見を綴った。
鳩山氏は「高市首相に近い官邸の高官が核保有発言をしたことに対して、オフレコ前提の内容をバラしたほうが悪いとの意見もあるがそれは違う。」と切り出し、「内容の重大性を考えてメディアが判断すれば良いのである。オフレコだがこれからクーデターやるぞと言われてオフレコを守るべきか。」と指摘。その上で、「被爆国は率先して核廃絶に走るべきだ。」と呼び掛けた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/44fb42273659ca72c0f38aaf6d67b2aa97f7d8f6
ネトウヨはそこ理解できてない
簡単な話よな
別にクーデターでなくとも犯罪の自白でもいい
鳩山氏の提起した「クーデター」という極端な例えは、オフレコ破りの是非を問う上で、発言内容の重大性をどこまで考慮すべきかという法と倫理の境界線を浮き彫りにします。確かに、犯罪計画のような明白な違法行為であれば、公益性に基づく報道の正当性は高いと言えるでしょう。
「核保有」発言の法的・倫理的考察
これくらいならオフレコだろうが報道すべきやろうけど個人の感想レベルを報じるとかどんだけ重箱の隅をつつきたいねんとしか
口頭で信用できる人間に相談しろよ
無責任にブロードキャストするなって言われてんだよこのアスペ
オフレコをお願いして承諾したのにオフレコ守らない人間には
クーデターの計画なんか漏らす訳ないじゃん
もうオフレコというプロトコルは理解できない人間だろバラしたら終わり
クーデターするって例えとズレすぎなんよ
今後は信用されなくなるってだけの話だよね
ペラペラ喋るバカが悪い
鳩山「クーデター企んでてもオフレコなら報道するなってことか?」
支持者「私はそんなこと言ってない!」めんどくさい女みてぇな思考やな
計画でもない個人の思想の事まで報道する必要ないってのと
クーデターという具体的な犯罪行為を計画してる事の違いもよくわからんて事?
個人の思想を記者に言うってことは報道してほしいって言ってるようなもんやろ
オフレコでって前置きする意味は
「核保有」発言は、単なる個人の思想と捉えるか、それとも国家の根幹に関わる重大な政策提言と捉えるかで、報道の是非は大きく分かれます。特に被爆国である日本の立場を考慮すると、その発言の重みはクーデター計画に比肩すると主張する意見にも一理あります。一方で、オフレコ破りが取材者と情報提供者との信頼関係を根底から崩しかねないという指摘もまた、ジャーナリズムの現場における現実的な課題です。
揺れるジャーナリズムの使命
政治家側が全く言わなくなるってなると逆に危なくも感じるし
オフレコでも話す奴が悪いって言いだしたら
国民が政府の正式発表以外で情報を知りえなくなるからな
友達に内緒だけど今から何人かであそこの女を無理やり輪姦するわと言われて本当に黙ってるのが正しいわけないか
強姦は犯罪だけど核保有は犯罪でもないし
持つのは無理だって話をしたんだし
例えとしてズレてる
野党関係者が「クーデターを起こしてでも政権を倒すべき」と言ったってレベルの発言だろ
その発言が良いとは言わんが、「これからクーデターやるぞ」とは段階がまだ違う
ただのディストピアじゃん
オフレコでもどうでもいい事まで全部報道されるなら
政府公式発表以外は情報流れてこない
それこそディストピアになるんよ
自由ってのは信頼関係やぞ
偉い人による表向きの発表だけを伝えるのはただのプロパガンダといいます
知らせる為に話を聞けるように信頼関係築いてないといかんのに
名前も出す価値もない雑魚の思ってる事報道して信頼関係を崩す意味よ
話聞けなくなったらジャーナリズムはできないで
政府発表を垂れ流すだけのプロパガンダしかできない
政府の内情を伝えるために信頼関係を築くのであって、関係を守るために高官の重大な発言をスルーするのは本末転倒ですよ
今後もっと重要な話を聞けなくなっていくかもしれないのに
重大だっていうけど今のところなんの意味もないこの事を報道するのに何の意味が?
重大で意味が大ありだからこんな騒動になってるんですよ
重大な話をキャッチしても「もっと重大な話を聞けなくなるかもしれない」と思い続けて政府の広報を手伝うだけのマスメディアにどんな社会的意義があるんですか?
ジャーナリズムの使命は、権力の監視と国民への情報提供にあります。しかし、その実現のためには情報源との信頼関係も不可欠であり、オフレコ破りはその関係を破壊するリスクを伴います。この板挟みこそが、メディアが常に直面する倫理的ジレンマなのです。
オフレコ発言の真意と影響
国の根幹に関わるような事柄について私的見解とはいえペラペラ喋るのは口が軽すぎやせんか
これに尽きるわ
飲み屋で友達と会話してるわけでもないのに
どういう状況での発言なのかも明確じゃないから
ガチで友達飲み会の席の発言だった可能性もあるぞ
高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋は18日、「私は核を持つべきだと思っている」と官邸で記者団に述べ、日本の核兵器保有が必要だとの認識を示した。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA18CNQ0Y5A211C2000000/
モノは言い用じゃん?
友達として飲み会を大袈裟に書けばその記事の表現にできる
もちろんそんなのは屁理屈なのはわかってるが
大事なのは報道側の情報を鵜呑みにはできないって前提だよ
中身の是非の話の前の問題だぞこれは
官邸内や
その時点で権力側に取り込まれてる
情報源を開示しないのはいいけど
公人なんだから
報道されてもしゃーない
この感性で国家運営してればそらルーピー言われるわ
ちょっと例えが下手
知らせる為に話を聞けるように信頼関係築いてないといかんのに
名前も出す価値もない雑魚の思ってる事報道して信頼関係を崩す意味よ
話聞けなくなったらジャーナリズムはできないで
政府発表を垂れ流すだけのプロパガンダしかできない
口頭で信用できる人間に相談しろよ
無責任にブロードキャストするなって言われてんだよこのアスペ
オフレコ発言の真意がどこにあったのか、そしてそれがどのような状況で発せられたのかは、報道の妥当性を判断する上で極めて重要です。公人が記者の前で「オフレコ」と断りつつ発言した内容が、私的な見解に過ぎないのか、それとも政策的な意図を孕んでいたのか。この線引きは、今後のジャーナリズムのあり方、そして国民の「知る権利」の保障に深く関わってきます。
【深堀り!知的好奇心】ジャーナリズムとオフレコ:倫理的ジレンマの深層
ジャーナリズムにおける「オフレコ」取材は、情報源の秘匿を条件に、表には出にくい本音や深層の情報を得るための重要な手法です。しかし、その倫理的な運用は常に議論の的となります。一般的にオフレコは、発言者と取材者が事前に非公開を合意した場合に成立します。日本では「官邸筋」といった匿名表現で報じられることが多く、公式見解では得られない情報で記者の理解を深め、正確な報道に繋げる目的があります。
公共の利益とオフレコ合意の衝突
国民の「知る権利」や「公共の利益」と衝突した場合、メディアはオフレコを破るか否かの判断を迫られます。特に国家の安全保障に関わるような重大な発言は、その内容の公益性から報道が正当化される場合があるとされます。例えば、今回の「日本は核を保有すべき」という発言は、唯一の被爆国である日本の国是「非核三原則」に反する可能性をはらむため、その重大性が報道の引き金となったと考えられます。
信頼関係の毀損と将来のリスク
一方で、オフレコ破りは取材者と情報提供者との信頼関係を損ない、将来的に重要な情報が得られなくなるリスクも指摘されています。米国などの海外では、オフレコの運用ルールが日本よりも厳格に定義されており、約束を破ることはジャーナリストの倫理綱領に反すると解釈されることが多いです。しかし、そこでも「公共にとって不可欠な情報」である場合には、例外的に秘密裏の情報収集や報道が許されるという考え方も存在します。
鳩山氏の「クーデター」例えの意味
鳩山氏の「クーデター」という例えは、このような情報の重大性がオフレコ合意を上回る極端なケースを提示し、核保有発言も同等、あるいはそれ以上に重大であると訴えるためのものでした。 つまり、オフレコ破りの是非は、情報の重大性、公共性、そしてそれによって失われる信頼とのバランスという複雑な倫理的判断を伴うものであり、一概にどちらが正しいとは言えないのが現状です。
「非核三原則」とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という日本の政策であり、1971年に国会で採択され、歴代政権によって堅持されてきました。